藤本壮介 身体が創り出す空間


Detail of Primitive Future House as installed at the 12th Venice Architecture Biennale, “People Meet in Architecture.” Photo 高木康広 for ART iT.

ART iT 藤本さんは海外での展覧会やレクチャーが多く、今回のヴェネツィア・ビエンナーレ建築展にも参加します。そうした経験に絞って話を伺います。まず、ヴェネツィアではどういったプロジェクトを展示するのでしょうか。

藤本壮介(以下、FS) 大まかには二つの方向性を検討していました。ひとつは1分の1スケールでインスタレーションのような形で建築空間のエッセンスを見せる。アルセナーレの大きなスペースを念頭においていました。もうひとつは大きな模型を見せるというもの。基本的には、ディレクターである妹島和世さんと話をして行くなかでいろいろな視点から建築というものの見せ方を議論できたことがおもしろかったですね。例えば1分の1スケールで作ったとしても、それはそこに現実に建っている建築というよりは簡略版みたいなものになってしまう上に、観客がその場での体験そのものを強く捉えてしまう恐れがある。かといって、模型というのは情報量が実物の建築に対して、縮小版みたいになってしまう。妹島さんから、実現していないプロジェクトでもよい、と言われたこともあり、むしろ大きめで、半分くらい入り込めるスケールを持った模型を作れば、大きな考え方と体験と両方上手く持ち込めると思い、最終的には大きな模型「primitive future house」を見せることに決めました。

このプロジェクトは10年くらい前、仕事が何もない頃に、これからの建築はどうなるかということを考えて自分なりに模索しながら作っていた未来の住宅の提案です。横から見ると細かい段がいっぱいあって、1段1段が35センチというサイズでできています。そうすると腰掛けることができ、2段になっているところは机くらいの高さになり、もちろん棚としても使えます。従って、機能的に建物が作られているというよりは、意味のわからない地形のような——僕らは「洞窟」と呼んでいますが——そういう人間のために作られているのか、自然にできてしまったのか、わからない場所が立ち上がっているイメージです。でも、人間の身体スケールに根差して考えることによって、人間がその場所とコミュニケーションを取りながら使うことが可能になる。更に、人間同士が関係する際、コミュニケーションを取るきっかけになる。普通は平らな床がただあって、家具が置いてあったりしますが、段差があることによって、どちらに座るかなどの位置取りなどを含めて人間同士の関係や人間と場所の関係に対して非常に意識的になります。そうした関係について、創造的になれる場所の方がより豊かなのではないかと思ったのです。僕らも会議室みたいなものを使うことがありますが、家具が置いてあるとそれに則って人は並んでしまいます。そこまでお膳立てしなくても、そのときどきで戸惑いや発見があった方が人間同士のコミュニケーションが豊かになりますし、家に住む、建築で過ごす体験も豊かになるのではないでしょうか。このように考えながら作ったのがこのプロジェクトです。

ヴェネツィアでは、この、言わば僕の原点にあたるコンセプトを見せたいと思いました。われわれは最近、図書館を建てたり、家が積み重なっている建築を作ったり、自然の樹木と建物の関係をもう一回考え直すというプロジェクトを行ってきました。でも、見せる場所に関わらず、人間の身体と場所の関係とは何かが直感的に伝わるプロジェクトとして、この模型が一番ふさわしいんじゃないかと思ったんですね。実際のスケールは5分の1にしています。従って台も入れて高さが3メートルくらいのもので、全部アクリル製です。アクリルの板にアクリルの縦材を入れて、部分的にボルトで締めました。切りっぱなしのアクリルなので、即物的な感じで立ち上がっています。

ART iT ヴェネツィアで見せる模型は、実際に空間に入れますか。

FS 入れません。ただ、僕らも物体だけを作るのではつまらないと思っています。人と場所の関係がどう変わってくるかがいちばん面白いポイントなので、本当はいつも人をのせていたいのです。今回は合計60人くらいの金属を切り抜いて作った人型がいろいろな形で取り付いています。一見すると、空間の中にペンで描いたような人が、模型上に立ったり、座ったりしています。それによって人がむしろ目立ってきて、模型は見えなくても、人の活動だけが浮かび上がって見えてくる。実はこの地形みたいな場所がその根拠を与えているのですが、その反転が見えて欲しいと思っています。それで敢えてこういう人型を作りました。横から見ると薄くて見えなかったりするのですが、それを60人くらい作って、ここそこと、あらゆる所に置いていく予定です。普段の模型でも人を置くのですが、さらに人と建築の模型の関係をもっと極端に人寄りにして、人間が空間と様々に関わっていくことで、初めて建築が生まれるということを見せています。


Installation view of Primitive Future House at the 12th Venice Architecture Biennale,
“People Meet in Architecture.” Photo 高木康広 for ART iT.

ART iT 今回展示するプロジェクトはもともと以前に考えたコンセプトを応用していますが、妹島さんの「People Meet in Architecture」に非常に合っているように思えます。

FS そうですね、人と空間の関係を再考するようなものになるといいなと思います。妹島さんとは、今回出品するプロジェクトの決定にあたり、かなり議論しました。展覧会のテーマがまだはっきりしていない頃に出した最初の案は、コンセプトが今回の出品作と同じで、35センチの段を木のブロックで作っている木造のバンガローのようなものをそのまま作るというものでした。次に、宇都宮で行われた『SUMIKA project』(2008)の際に作った「House before House」を妹島さんが見て、それを出すことも検討しました。小さい長方形の上に木を植えてそれがいくつも縦横に重なることで、木自体が立体的に浮いて見える家です。しかし、その場合は1分の1スケールで作らなければならない。そうすると先ほど言ったように実際の建築の簡易版のようになってしまうのでそれでは面白くない。そこで、現在のプランに集約していきました。

確かにこの模型は、人間同士がどう関係するか——しかもただ出会うではなく、例えば、皆が座っていくときに、何人座るかによって座る場所を考えるとか、そういう関係性を考える場所になる。そういう意味では人と人が出会い、関係しあうときに、いろんな選択肢を与えることができる建築かなと思っています。何人来ても同じように座らなければいけないというよりは、例えば1対1だったら親密に座る場所、10人くらいなら別の形で、さらに多ければ二重三重に取り巻く形で座ってもいいわけです。そういう意味では建築を豊かに作るということは、人間がそこで出来ることの可能性を拡げていくことだと思います。こうしなさい、ではなく、こうもできるけど、違う状況だとこういう風にも使える、と様々な提案ができる。そういう場所というのは不便に見える場合もあります。例えば広い部屋があって机をいかようにでも動かせますというと確かに便利です。20世紀はそういう機能性を重視して建築を作っていました。しかし、それでは人数が多ければ機械的に机を並べてみたり、少なければ机を一部だけ使うなどという、単純な思考に陥り逆に面白くない。それは決して豊かではないだろう、と思うんですね。むしろ、どうなるかわからない瞬間に、クリエイティブな発想が起こったり、予想と違う状況になったときに、こないだはこう使ったけど、こういう風に座ってみたらどうかな、と自由に選択ができる方が豊かだと思うのです。

ART iT 藤本さんは今回、参加建築家のひとりですが、客観的に見て、特に今回のビエンナーレに期待することはありますか。

FS 今回、建築展への参加はもちろん、ビエンナーレに行くのも初めてです。これまで、ヴェネツィア・ビエンナーレでは様々なことが起こっていて、憧れと共にビエンナーレが最先端の建築を切り開いていく場所のひとつだという認識は常に持っていました。今回妹島さんに参加を依頼されたときに、やはり自分がここ10数年の間に考えてきたことをひとつのクリアな形として世界に問いたいと思いました。今回のプロジェクトは建築の本質的かつ根本的な提案になっていると思うので、多くの人と議論ができる非常に面白い機会だと思います。


『Inside/ Outside Tree』 ヴィクトリア&アルバート博物館, ロンドン.
Commissioned by the V&A. Photo © Sou Fujimoto.

ART iT 藤本さんは展覧会自体についてはどのように考えていますか。自分の建築の実践のなかで、展覧会はどのような役割を担っているのでしょうか。

FS 難しいですよね。ワタリウム(『山のような建築 雲のような建築 森のような建築』 2010)のときにも考えさせられましたが、建築の展覧会には実物を持ちこめない。美術だと展示してあるものが最終的な作品です。建築もスケッチは描くけど、実物はどこかに建っている。そこをどうするかという話が常につきまといます。ヴィクトリア&アルバート博物館が実物大を作って欲しいという依頼してきたのは、やはり本物がそこに存在することを見せてほしかったのだと思います。ただ、その本物というのは、やはり建築ではなく、インスタレーションなんですね。だから難しいのです。ただ模型を置いて、こんな建物を作りましたというのでは、少し物足りないけれど、展示を前提とした「空間」としてだけ建築を見せるというのは少し違う気もする。

ART iT いままではそういう建築の展覧会がほとんどです。スケッチや模型を見せるか、あるいは建築の写真を見せる。

FS 写真か模型か図面で見せる。それで伝えられることもありますが、それだけが伝える方法なのか、ということを、ワタリウムの展示のときには深く考えさせられました。結局、模型を置いた3階の部屋ではその建築についての説明だけではなく、建築家が考えていることの総体のようなものを空間化できないかと考えたのです。思考の飛躍や、連携、ふとした思いつきとその連鎖、などなどを、この部屋を歩き回ることで身体的に体感できる。アンモナイトの化石や、ゴミみたいなものも置いてありますが、隣に突然スケールの大きい、詳細な模型もある。来る人にはその全てを見ながら、それらの間を行き来して、建築家というのはこうしたところから自由に発想していることを感じ、リアルに体験してほしいと思います。最初は事務所をそのまま展示会場に再現することも考えました。でも、建築を考える楽しさや、こんなものからこんなものを作ってしまうのかという想像力や、住宅を作るときに、まずこんなものを思いつくのか、といった驚きを見せたいと思いました。建築は子どもじみた思いつきから始まることもあり、そこから考えを大きく膨らませていく刺激的なプロセスを、特に建築に関わっていない人にも楽しんで欲しい。そしてそれらが今回のワタリウムのように空間の中に漂っているように配置されることで、僕の脳の中の出来事が空間に翻訳されて、それを体感できるかのような、そういう展示を意図していました。


Both: 『山のような建築 雲のような建築 森のような建築』 ワタリウム美術館. Photo 野村佐紀子 for ART iT.

ART iT 先ほど藤本さんもお話になった「模型」という言葉は、先日、石上純也さんにインタビューしたときにも出た言葉です。石上さんは、ヴェネツィアでの展示は模型と建築の間に存在しているどこかである、と描写していました。藤本さんはどうでしょうか。この模型のコンセプトを再定義することで、模型にはどういう潜在的可能性があると思いますか。

FS そのあたりはなかなか難しいですよね。僕たちはそれでもやはり、建築を作らなくてはならないと思うんです。模型というのは、あくまで建築を作るための、あるいは建築の発想を広げていくために存在している気がしています。たぶんそれは、日常ということ、あるいはまったく予想のつかないさまざまな人たちのさまざまな関わり、というようなものと一体となることで、はじめて建築というのは素晴らしさを発揮するんだと思うんですよね。そういう雑多な事柄を受け入れることができる場というのでしょうか。それが建築の力であり、魅力だと思うんです。今回ワタリウムでも実寸の空間を作りましたが、あれはまだ建築ではない。では模型なのかというとそうでもない(笑)しかし建築につながる何かではあってほしい。模型も一緒ですね。模型のための模型はやはりあまり意味がなくて、建築につながるなにかを示唆してこその、模型ですよね。

ただ僕自身はそういう建築を構想するための模型というものはすごく面白いと思っているんですよ。模型の中には全体性と体験性が、あるいは成り立ちと実際の体験性が表裏一体で同居しています。それが模型の面白いところですね。抽象的な思考や成り立ちと、空間体験という身体経験が同居している。そういう意味で非常に豊かなメディアだと思います。例えば、コンピューター・グラフィックス(CG)ではリアルな絵は作れるけれども、それはひとつの場面でしかないわけです。その場面を見ながら、同時にこれがどう成り立っているのかをまた別の画面で立ち上げなければいけない。一体感がないのです。それが模型が無くならない理由のひとつだと思います。あとは、「何となくそこにある」ことが僕らにとっては重要で、20分の1くらいのスケールの模型はどのプロジェクトでも作るのですが、そうすると、いろんなプロジェクトが事務所の中に「何となくそこにある」んですよ。意志を持って見たり、打ち合わせで見ているときもあるけれど、「何となくそこにある」という状態で、でも違和感を感じたり、なにかを示唆してくれたりする。そういう在り方もしてくれるのです。それで違和感があるとか、一生懸命決めたはずだけど何かおかしい、とか、パッと見て、上手くいっているね、などといった、客観的な視点を持ちこんでくれるんですね。決めることと決めないことの間に常にいてくれる。

ART iT その意味で、現代建築にはどのような表現ができると思いますか。

FS いまはインターネットなどヴァーチャルリアリティーのものが増えていますが、実物の建物が持つどうしても拭い去れない価値はやはりあると思います。

先日、武蔵野美術大学の図書館を作った際、その場に存在するものの量は限られているにも関わらず、実空間というのは実際よりもっと奥深いことを感じました。現在自分では気がついていないことに、1ヶ月後に来たら新たに気がつくのではないかという予感も含めて、その場の空間に積層されているような感覚ですね。建築の作り方によって、当初は見えないけれど、時を経て、徐々に見えていなかったものが見え、アクセスの仕方などが身体的にわかってくる。同じ空間が、同じ人の、あるいは別々の人の別々のアクセスの仕方によって違ったものになっていく。これは実空間ならではでしょう。図書館を作ったときに、僕はコンセプトとして、森みたいな図書館、書物の森という言葉を使いました。というのは、森の中は、一見、何の意味があるのかわからないようなものばかりです。人間にとって役に立ちそうな目印や、雰囲気の変化も存在するけれども、実はいろんな動物がいて、それらの動物にしか意味のない情報もある。でも、実は実空間では全部見えているのです。何の意味があるかわからないものが、実はそれぞれの場所で価値を持っている。慣れてくると、人間も小さな印や兆しに気がついたり、けもの道をたどれるようになったりと、徐々にその中で自分が知覚できる範囲が広がっていく、そういう豊かさが積層したまま目の前に存在しているのが実空間の持っている豊かさだと思います。

ヴェネツィアの模型もそういう空間を目指しています。いろいろな段差があり、はじめはどうしたらいいかわからないけれども、使っているうちに見えている風景が変化して、ここはこう使いたいなどとなっていく。そして、自分ひとりで住んで、いろいろ定まってきたけれども、5人ぐらい友だちが来たらまたどうしよう、と戸惑う。実際、目に見えている風景は複雑だけど同じで、常に見え続けているものだけれども、その意味合いが継続的に変化していく。これが非常に面白いと思うのです。そうした変化を上手く実空間化できないかと考えています。


『山のような建築 雲のような建築 森のような建築』 ワタリウム美術館. Photo 野村佐紀子 for ART iT.

ART iT コミュニケーションの手段として、展覧会は非常にアナログです。だからこそ、展覧会は建築家にとって魅力的なのではないでしょうか。

FS 確かにそうですね。特定の場所に行かないと見れない。そして、行ってみたらいろんなものが置いてある。ワタリウムの会場を作っていて、展覧会には単なる情報だけではなく、空間とそこに生まれる身体経験が蓄積していくんだなと思いました。建築物ではないけれども、模型を使っても空間は生まれる。模型を部屋の中にどう配置するかによって、そこにすでに身体的な空間が生まれている。今回のヴェネツィアの場合は、実際の空間に対して模型が大きいとはいえ、抽象的な考え方から実体験までのプロセスが、小さな模型とは違ったバランスになります。中に入れる大きさでも抽象性がないかというとそうでもなく、行き来の振れ幅がもう少し取れる気がします。最初は妹島さんにアクリルで作ったらと提案されましたが、単にきれいなオブジェになってしまうのではないかと思って試行錯誤しました。人をどうやって入れようかと考えているうちに、僕の中でも意識が変わって、人の分布を作り、しかも、この人型が本物の人間にけっこう近いけれど、ぜんぜん違うスケールというのが非常に重要だと思い始め、自分の中で今回のヴェネツィアの展覧会の位置づけというものが徐々にクリアになってきました。

ART iT 当たり前のことですが、ヴェネツィアのプロジェクトにおけるこのような「人型」を見ると、建築は人間と密接に繋がっていることに気付かされます。藤本さんは「人間」をどう思っていますか。

FS いわゆる普段の生活での人間にすごく興味があります。何か目的があるとき、人間はわりとわかりやすい行動をとります。でも、家の中で一日暮らしている人間を見てみると、わけがわからないなりにそのときはそれぞれがいろんな思いで動き回っている。その日常というものが持っている恐ろしさみたいなものが建築にはあるような気がしていて、そこをうまくすくい上げたいという気がするんですよね。「何となく」とか「気がついたら」みたいな感じで人間は行動します。本能的には、動物的な部分と知的な部分がバランスを取りながら、なにがしかの本能で動いているわけです。そのすごく原始的な人間の本能、本性みたいなものをちょっとだけ増幅させ、引っ張り上げる。単にそれに沿って何かを作るというよりはそこを刺激するみたいな。人間の本能をさらにプッシュする感じで、とくに現代においては、そういうものが薄れていっている気がするので、身体性とか本能みたいなものを少し刺激してあげるような場所の作り方に興味がありますね。

トップページ写真: 『山のような建築 雲のような建築 森のような建築』 ワタリウム美術館. Photo 高木康広 for ART iT.

藤本壮介 展覧会関連イベント

「建築と東京の未来を考える2010」

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藤本壮介 インタビュー
身体が創り出す空間

第4号 建築

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