怒りをもって振り返れ

 先日会った人に、こんなコトを言われた。

 中原さんの先生だった、佐伯先生はたくさんの本を書いていますが、どれが一番おすすめですか?

 うーむ、「おすすめ」か。佐伯先生の本は、おそらくすべてを学部時代に読んだとは思うんだけれど、「おすすめ」と言われてもねぇ。

 ただ、その中で、一番印象に残っていて、今も忘れていないのはこれでしょうか。

  - 学びの構造

 少し長くなりますが、僕の好きな一節を引用してみましょう。

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 現代は、科学や技術に対する不信の時代である。 「勉強して何になる」、「学んで何の役にたつ」、「科学は人間を不幸にしたではないか」、「技術は人々を阻害し、公害を産んだではないか」、「よく勉強した人々は単に出世して、結局は他の人々を支配し苦しめたに過ぎないではないのか」・・・。

 それにもかかわらず、わたしはあえて言う。
 これらを克服していく道は、わたしたち自身がまず「学ぶ」こと以外にない、と。

 科学が人々を不幸にしているのならば、科学のなかから、それをなおす以外にない。
 技術が人々を阻害し、公害をうんでいるなら、技術のなかから、それをなおす以外にない。
 企業が人々を欲望にかりたて破滅に導くというのなら、企業のなかから、それをあらためていく以外にない。
 政治が人々を支配し、人々の苦しみに目を背けているならば、政治のなかからそれを変革する以外にない。

 すべての人が「評論家」になる必要はない。ひとりひとりの立場、役割のなかから、あるべき姿をさぐり、あるべき世界を問い、そして学ぶことからはじめるべきである。

 しかし、もしどうしても、本当ににどうしても、あなたの「学び」が妨げられ、あなたの「学び」が押しつぶされ、あるべき世界を人々が無視し、理解しないならば、

 そのときこそ
 怒りをこめて振り返れ

 なぜなら、
 人間、これこそ学び続けていくことのできる唯一の存在であり、この存在を否定することだけは、断じて許してはならないからである。

佐伯胖(1975) 学びの構造. 東洋館出版社, 東京 pp206-207より引用

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 学びが妨げられたときは、「怒りをこめて振り返れ!」。学び続ける人間の営みだけは、何人たりとも否定することができない。

 この力強い言葉が好きだ。

 ちなみに、この本が出版された1975年は、僕の生まれた年であった。今から30年前の話である。