日本学術会議、「大卒後3年間は新卒扱い」を提言(7)

あと残り少し、というところでまたしても1週間開いてしまいましたが、日本学術協会の「回答」へのコメントの最終回を書きたいと思います。今度こそ終わらせよう(笑)。
「回答」全文はこちらです。
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-k100-1.pdf
今回取り上げるのはマスコミで取り上げられた「(4)当面取るべき対策 」の最後の「(3)就職・採用活動の実質化」です。

(4)当面取るべき対策
(1)学生に対する支援の充実
 ア 大学におけるキャリアガイダンスの在り方
 イ 就職活動に伴う負担の軽減
(2)就職できない若者に対するセーフティーネットの構築
 ア 包括的なセーフティーネットの構築
 イ 企業の採用における「新卒」要件の緩和
(3)就職・採用活動の実質化
(5)今後目指すべき方向 − 大学と職業との新しい接続のかたち
  ※機種依存文字は変更しています。

就職・採用活動の「実質化」と言われてもちょっとピンと来ないわけですが、まずは読み進めてみましょう。

 今までの議論において、現在の就職・採用活動の持つ問題の一側面を、「意義の乏しい過剰な選び合い」という表現で指摘した。長期間にわたって大きなエネルギーを傾けているにもかかわらず、なかなか決まらないばかりか、近年新卒3年以内の離職率が3割を大きく超える率で高止まりしているとされる現象も、こうした就職・採用活動の問題を示唆していると思われる。
 4年間の学士課程教育を通してしっかりと職業能力形成を図りつつ、時間をかけて自らが携わる仕事についての考えを深めた後に、職業生活に移行していくということが、大学と職業との接続の本来の姿だとすれば、現状の就職・採用活動は、そうした姿からは少なからず乖離したものになっていると言わざるを得ない。学生も企業もお互いに、ある種の表面的な魅力や特性をアピールし、評価し合っているという面が強すぎるのではないか。実際の「仕事」とより強く結びついた、基本的で実質的な事柄をめぐって就職・採用活動が行われるような在り方を構想するべきである。大学と産業界とが協力すれば、就職・採用活動の現状に一定の変化をもたらすことは不可能ではないはずであり、ここでも両者の協働が求められている。(pp.61-62)

これを読むと、「実際の「仕事」とより強く結びついた」事柄が「実質的」であって、そうでない(おそらくは)「訓練可能性」や「コミュニケーション能力」といったものは「ある種の表面的な魅力や特性」であって「実質的」ではない、ということのようです。この「回答」では随所で「大学の多様性」が強調されているのですが、ここについての考え方は非常に画一的で不可解です。
まあ、「訓練可能性」や「コミュニケーション能力」のようなものを評価しようとすれば複数次の面接によることになるわけで、それが「過剰な」選び合い、具体的には多数回の面接試験につながる、という理屈はわからないではありません。それは多大な労力を要しますし、とりわけ結果的に不合格となった学生さんにとっては「意義の乏しい」選び合いということに(結果的に)なりましょう。いっぽう、「実際の「仕事」とより強く結びついた」能力(あるいはそれを保証するディプロマ)によって選考を行うことにすれば、それはたしかに労力の節約にはなるでしょう。
ただ、それでいかに手間がかからなくなって「過剰な選び合い」が緩和されたとしても、一方でマッチングの質の低下は避けられないでしょう。これに対しては、「大学と産業界とが協力すれば」ということのようですが、本当に双方にメリットのある形での協力関係をつくることが可能かということが大問題でしょう。これに関しては、「(4)当面取るべき対策」の直前の、「本論」のいわば締めくくりの部分にもこうあります。

…最後に最も基本的な課題として、大学教育の職業的意義を高めるとともに、それによって学生が身に付けた力が、企業においても適切に評価されるべきことを挙げなければならない。現状の就職(採用)活動においては、この点があまりに希薄であると言わざるを得ないが、これは新しい「大学と職業との接続」の根幹となるべき重要な課題である。(p.57)

これまで散々「大学教育には職業的意義が欠如している」と言っておきながら、企業に向かっては「適切に評価される…点があまりにも希薄」と苦情を述べるというのもいかがなものかと思いますが(笑)。企業としても欠如しているものを評価しろと言われても困るだろうと思うわけで…。まあそれはそれとして、これはたしかにニワトリと卵みたいな話ではあり、企業が評価しないから大学もやらないのだ、という関係もたぶんあるのでしょう。で、それは考えようによってはすでに「適切に評価」されているからそうなっているとも言えるわけです。「私は大学で職業的意義の高められた教育を受け、これこれの力をつけました」という学生さんがいたとして、「でもわが社が学士に求めている力はそういうものではないんだよねえ」というのを「不適切な評価」と決め付けるのは無理があるでしょう。一応、これが不適切な理由としては「4年間の学士課程教育を通してしっかりと職業能力形成を図りつつ、時間をかけて自らが携わる仕事についての考えを深めた後に、職業生活に移行していくということ」が「大学と職業との接続の本来の姿」だからだ、ということのようですが、その職業能力形成が「実際の「仕事」とより強く結びついた」ものでなければならないという理由は不明なままです。大学の多様性を前提にするのなら、「訓練可能性」「コミュニケーション能力」といった能力形成も当然あっていい、というか、実際第二部で述べられているように大学の教養教育はそうしたものを涵養するわけですし。「自らが携わる仕事」についても、「企業内で育成されながら幅広なキャリアを歩んでいずれ経営職となる」という「仕事」もあっていいはずだと思います(いやまあそういうのは「仕事」とはいわないんだということなのかもしれませんけどね)。
というか、第三部のいわゆる「職業的意義」のある大学教育を実施することでマッチングも改善すると本当に考えているのであれば、企業が評価しようがしまいが大学が主体的に「本学は職業的意義の高い教育を行います」と宣言してそのようにすればいいわけです。それにより本当に企業にとって有為な人材が輩出されれば、企業はわざわざ言われなくてもそれを「適切に評価」し、そうした人材を採用し、あるいはそうした人材が活用できる人事管理を行うでしょう。なのに、大学はこういう教育をしたいから、企業はそういう人を採りなさいというのも変な話だなあと。というか、すでにそういう教育を実践して大学より良好な就職実績をあげている専門学校があるよねえという話でもあり、まあ大学が専門学校のような教育を行ってはいけないわけではない、というか現実にすでに専門学校のような教育を行う大学もあるわけで、ただ就職の場面において「それだけ」が「あらゆる」大学が質保証する学士力ということで本当にいいのかなあと思うわけです。いやそういうふうに私には読めるのですが。
ただ、続く具体論のほうはかなり現実的な内容になっていて、まあやはりそのあたり「当面取るべき対策」ということなのでしょうが、

 現状の就職・採用活動の改善の在り方や、オルタナティブとなる方法は一様ではないだろうが、既に存在する一つの具体例として「ゆるやかな職種別採用」を挙げたい。これは文字通り、担当する職種が前もって提示されており、応募者はその職種に応募するというシステムであり、一般的には経験者の採用方式として活用されてきたが、近年、大学の新卒予定者の採用方式としても少しずつ拡大してきているとされる。こうした職種別採用では、就職した後の仕事内容がある程度特定されていることから、仕事に対する目的意識の高い学生を採用することができ、就職後に実際の仕事の内容が自分に合わないと感じる事態を減少させることにより、早期の離職率の低下に一定の効果があるとされている。また、職種を問わない通常の一括採用では、必然的にジェネラリストとしての資質を特徴付ける、コミュニケーション能力や一般常識、潜在的な訓練可能性などが重視される傾向を持つのに対して、職種別採用においては、特定の仕事内容への対応性という観点から、大学教育、特に専門教育の意義に対する評価が、企業と学生の双方において高まることになると考えられる。
 このように職種別採用は、学生が大学教育を通じて自らの職業能力形成を図り、仕事に対する明確な意識を形成した上で、円滑に職業生活に移行することを可能にする方式として、従来の一括採用方式が陥っている問題状況の軽減に寄与するオルタナティブの一つとなると予想される。ただし、このような形で就職・採用活動の「実質化」を図っていく上でも、大学教育の職業的意義を向上し、また、企業における人事制度を改善していくことが重要であり、単に両者の接続の方法、すなわち就職・採用活動の形態だけを変えればよいというわけではないことは留意すべきである。(p.61)

「経験者の採用方式として活用されてきた」については、たしかに中途採用では職種や業務分野などを示して募集されることが多いわけですが、しかし採用後のキャリアについては多くの場合新卒採用者と同様である(hamachan先生流にいえば「メンバーシップ型」に組み込まれる)、つまり畑違いの部署へのローテーションなどもありうる点には注意が必要です。つまり、職種別採用がhamachan先生のいわゆる「ジョブ型正社員」のようなものを意図しているのであれば、そのキャリアは現状の「経験者採用」とは異なるものになるわけです。
さて、「担当する職種が前もって提示されており、応募者はその職種に応募」し、「就職した後の仕事内容がある程度特定されて」いて、その仕事の専門職としてのキャリアが予定されているという仕事は、実はこれまでもありました。ただ、それは伝統的に多くの場合大学卒ではなく専門学校卒、高校卒で充足されてきたわけです。それに対し、進学率の上昇にともなってこうした仕事に大卒者が参入するという現象もたしかに見られるところで、たとえばある時期に高卒を想定している国家公務員III種に大卒者が参入してきたことがあり、年齢制限を下げることでそれを排除したということがあったと思います。
ですから、ここでいう「ゆるやかな職種別採用」も、従来大卒者に対しては幹部候補生が予定されているという通念があったとすれば(あったと思うのですが)それは改め、大学卒に対しても特定職種の専門職をめざす非幹部候補生のキャリアを準備することにしましょうという話であれば、これは十分にあり得る話ではないかと思います。むしろ「大学全入時代」といわれる時代を迎えるにあたって、企業としても検討を迫られるものではないでしょうか。ただその一方で、やはり一定割合の大卒者は長期雇用で内部育成する幹部候補生として「訓練可能性」や「コミュニケーション能力」重視で採用されるでしょうし、そうした分野で「質保証」する大学もあるでしょう。

  • まあ、経営幹部についてもビジネス・スクールのような教育機関が経営幹部としての「職業的意義」のある教育を行い、その質保証を行うことによって、卒業・就職してすぐに管理職となる人材を育成するのだということかもしれません。アメリカなどでは実際そういう労働市場になっているようですが、とはいえMBAホルダはもっぱら基礎的能力の高さのシグナルであって、それなりに現実の経験を積まないと一人前のマネージャーにはならないという話もよく聞くところではあります。というか、そういう「学歴社会」って日本で受け入れられやすい話なんでしたっけ。

つまり、「ゆるやかな職種別採用」は中途採用基準を新卒者にも適用するといったものではなく(そりゃ、経験者採用に求められる能力水準を新卒者に求めるほうが無理な話なわけで)、新たなキャリアコースを作るといった性質のものです。具体的にはこんなイメージでしょうか。

  • 期間の定めのない雇用であり、内部育成で内部昇進していく。そういう意味では「正社員」といえる。「ジョブ型正社員」と称することもできそう。
  • 職種はゆるやかに限定され、変更されない。したがって、当該職種が減少したり消失したりした場合においては、当然に退職が予定される*1。なお職種転換による雇用継続の機会があることが望ましい(が当然に保証されるものではない)。
  • 幹部候補生ではない。内部昇進のペースは緩やかで、キャリアの到達点は監督職か初級管理職程度。ただし、これまでも高卒者が「叩き上げ」で役員などになったケースが多数あるように、優れた人材は上級幹部への登用も十分ありうる。
  • 時間的・空間的拘束度も緩やかで、望まない限りは原則として時間外労働は雇用確保のために要請される水準を上回らず、転勤などを求められることもない。休日出勤や年次有給休暇の時季変更などを求められることも基本的にない。
  • 労働条件もキャリアに応じたものとなり、他のキャリアコースの処遇との均衡を考慮して設定される。想定されるキャリアが異なることから、他のコースとの均等が問題となることはない。

なにもくどくど書くまでもなく、かつての「一般職」に近いもので、それよりはキャリアの伸びが大きい働き方というところでしょうか。「一般職」はおもに女性労働との関係で(女性に偏りがち・女性が固定されがち)評判が悪いわけですが、最近では男性でも一般職を希望しているという話もあるくらいで、それなりのキャリアの伸びがあれば男性にも関心の持てる働き方かもしれません。それこそ「スロー・キャリア」といった呼び方もあるわけで、女性に偏らないことを大前提に再評価されてもいいように思います。
もっとも、そうなったとしてもそれほど「大学教育、特に専門教育の意義に対する評価が、企業と学生の双方において高まる」かは未知数でありましょう。実際、多くの仕事ではやはり一定のコミュニケーション能力などは求められるわけなので、現場としてはなかなか「職業的意義」ばかりで採用するわけにはいかないでしょうから。もちろん、幹部候補が予定されていない分、「訓練可能性」のウェイトは下がるでしょうが。
というわけで、職種別採用の拡大には賛成ですが、「職業的意義」には依然として懐疑的というのがここでの私の一応の結論ということになります。
続く「(5)今後目指すべき方向 − 大学と職業との新しい接続のかたち」と、「6.大学と職業との望ましい接続の在り方に向けて速やかな行動を」は第三部全体のまとめといった趣のもので、特段新たにコメントすべき点は見当たらないように思われます。最後のほうに、こんな自画自賛が出てくるのですが、

「近年、教育を職業や雇用との関わりから議論し、…産業構造や社会システムの変化に応じた多元的な対応策を提示し、それを推進することの重要性が広く認識されるようになってきた…が、本稿のように、両者の関わりについて、「新しい大学教育の姿」に軸足を置きながらも、戦後の経済社会の構造的な変化からその将来展望まで踏まえて、なおかつ現在の就職活動と採用活動の実態まで含めて論じた例は、…今回が初めての試みではないかと思われる。しかし、現在の日本社会が直面している問題状況と、そこで若者が置かれている厳しい状況に鑑みれば、教育と職業・雇用と産業とを一体的かつリアリティの伴う形で検討し、早急に適切な対応をとることが喫緊の課題であるという認識は、多くの人に共有していただけるのではないだろうか。(p.64)

たいへんな労作であるとは私も思います。ただ、前回までたびたび書いてきたように、需給のバランスが大きく崩れているときに、供給側を改善するだけでは限界があるでしょう。いかに「企業は職業的意義を重視した採用を行うべきだ」と唱えてみたところで、労働需要がなければ何を重視した採用も行われないわけです。そうした中でも「職業的意義の高い教育を行えば採用される」と考えるのは、労働需要が乏しいから「社会人基礎力を高めよう」「人間力を身につけさせよう」と考えるのと同じ誤りを犯していることになりはしないでしょうか。
長々と続けてくだくだと書いた割には同じことばかり言っているような気がするのですが、とりあえずこれで連載は終わりました。さあ新ネタをやらなければ(笑)

*1:いわゆる「整理解雇の4要素(要件)」における「解雇回避努力」においても、「ゆるやかな職種別採用」社員の退職が含まれることになるものと思われます。