素人大臣に翻弄される金融庁の非力

 本日2日付で金融庁の幹部人事が行われる。三国谷勝範長官が退任、後任に畑中龍太郎監督局長を昇格する。大混乱した国際会計基準IFRS関連では、担当の森本学・総務企画局長が留任、参事官だった池田唯一氏が審議官に昇格、と上層部は温存だが、現場の古澤知之・企業開示課長が外れ、市場課長に回ることとなった。自見庄三郎・金融担当大臣が反IFRSに舵を切ったため、これまで推進してきた池田、古澤両氏が異動させられる、という噂が金融庁内に流れたが、古澤氏が1年で異動ということになった。金融庁は8月末に企業会計審議会を開く準備をしているが、新課長がどんなスタンスを取るのか注目される。

7月14日に新潮社「フォーサイト」にアップされた記事を再掲します。編集者によると、無料公開だったこともあって、記録的な購読数だったということです。感謝。
フォーサイト→ http://www.fsight.jp/article/10634?ar=1&page=0,0&ar=1


 中央省庁の審議会と言えば、事務局を務める官庁の担当課の役人がシナリオを作り、大臣などの政治家はそのシナリオに従った挨拶だけして退席する、そんな形が自民党時代を通じて続いてきた。もちろん、そのやり方に問題が無かったわけではない。だが、6月30日に開かれた金融庁企業会計審議会は、政権交代民主党が「政治主導」を掲げたとはいえ、それとはまた違った意味で、異様な光景だった。
委員を10人追加して意見を一変

 金融担当大臣の自見庄三郎参議院議員が「政治決断だ」として、事前の記者会見で自らが用意した発表資料を使って結論を公表。審議会の開催直前には委員を10人追加して従来の意見を一変させ、自らは審議会の閉幕まで席を離れず目を光らせた。反対する官僚に対しては人事権をちらつかせて沈黙させた。特命担当大臣に直接の人事権はないとはいえ、政治家のひと言が幹部人事に影響を及ぼすのではないか、という恐れは官僚なら誰でもが抱くものだ。これが国民が求めた「政治主導」の姿なのだろうか。

 テーマは国際会計基準IFRSの日本企業への適用を巡る問題だった。2012年に全上場企業にIFRSを適用するかどうかを決断。適用する場合には、3−4年の準備期間を置く、ということを、同じ審議会で2009年に決めていた。この準備期間を5−7年後まで先延ばしすることを「政治決断」したのだ。今回の原稿の目的は、IFRS導入の行方について分析することではない。金融庁がなぜ大臣にそこまで翻弄されることになったのか、官僚機構としての金融庁のあり方を考えてみたい。

LEDに替わる「大臣の手柄」
 自見大臣は企業会計や金融の専門家ではない。もともとは医師で、自民党時代は郵政族として政治活動を行なってきた。2005年の小泉郵政選挙で落選。2007年に国民新党比例代表参院議員として復活した。
 政権交代以来、民主党は日本の金融資本市場にはまったく関心を示さず、反郵政改革を旗印にする小党・国民新党に日本の金融資本市場政策を任せきりにしてしまっていることに本質的な問題があるのだが、ここではこれ以上触れない。

 そんな自見大臣がなぜIFRSに目覚めたか。
東日本大震災以降、大臣としての手柄を探していたんです」と金融庁の幹部は言う。
 まず、震災発生からしばらくたって、大臣から突然、節電対策ですべての銀行の照明をLEDに替えろという指示が来たのだという。担当課に指示したところ、銀行の本支店の照明は電力消費が少ない蛍光灯がほとんどで、LEDに替えても大きな節電効果がない、という報告が上がってきた。次に大臣が飛びついたのがIFRSだった、というのだ。IFRSの適用先送りは表面上、東日本大震災による企業の負担増に配慮して、という理由になっている。

 国際的な交渉が仕事の大きなウエートを占めるようになりつつある金融庁にとって、海外に表明済みのIFRS導入スケジュールを先送りすることは大事件。この幹部は「IFRS先送りを手柄にされるぐらいなら、LEDにしておけば国益を損なうことはなかった」と唇をかむ。

人事で役人を恫喝
 審議会を前に大臣が記者会見した際に配布した資料は、担当課が作成にまったく関与していないものだった。自見事務所が作成したということになっているが、反IFRS派の一部企業人が自見大臣を焚き付けているのは明らかだった。
 金融庁の現場が唯々諾々と大臣の独走を見ていたわけではない。「まったく現場の言うことを聞いてくれない」と従来からの審議会の委員にぼやく役人の姿があった。それでも反論を試みていると、1つの噂が庁内を流れた。
「担当の審議官と課長が左遷されるらしい」
 どんな骨のある役人でも、人事で恫喝されれば大抵は黙るものだ。経済産業省の改革派官僚、古賀茂明氏は閑職に飛ばされても自説を主張し続けているが、彼のようなケースは極めて稀だ。
 結局、反IFRS派の臨時委員を一気に10人加えるような露骨な情報操作に現場の官僚も同意させられたが、本来、そんなやり方は役人の美学からすれば受け入れられない恥ずかしい手法だった。

「何もしなかった」金融庁長官
 金融庁の現場が素人大臣に翻弄され続けたもう1つの要因が官僚トップである金融庁長官の指導力欠如だ。三国谷勝範長官は企業会計にも詳しく、国際的な交渉の難しさも知っている。しかし、今回の件では「何もしなかった」という不満が現場に満ちている。
 もともと金融庁は長官がトップで、長官は内閣総理大臣に直属している。金融担当大臣は正確には「内閣府特命担当大臣」で、首相のスタッフ的な位置づけの大臣に過ぎない。本来、長官がリーダーシップを発揮していれば、担当大臣が現場に直接口を出すような事にはならないのだ。加えて言えば、首相が金融庁長官にきちんとした指示をする姿勢が重要なのだが、菅直人首相は金融にはほとんど関心がない。
 実は、政権交代以降、金融庁が政治家に翻弄されたのは今回が初めてではない。菅氏が副総理兼国家戦略担当相当時に着手した成長戦略に関してもそうだ。政権交代後、「成長戦略がない」と自民党など野党に批判された民主党は、当時の菅副総理が急遽、成長戦略をまとめたが、その中には「金融」が欠落していた。半年後になって金融を追加したが、中味は「総合取引所構想」など、新味のあるものはまったく無かった。

 しかも、金融庁にとってはかねてからの懸案であった総合取引所にしても自ら主導して盛り込んだわけではなく、成長戦略を担当した経済産業政務官(当時)の近藤洋介衆院議員に無策を叱責され続けた末のことだった。
企画立案能力が極端に弱い

 「IFRSにせよ、金融の成長戦略にせよ、金融庁自身が明確なビジョンを示せないから、政治家に口を出されるのだ」と金融に詳しい自民党の中堅議員は言う。
 金融庁には構造的な問題がある。金融検査や銀行監督など「事後チェック」の行政を担う組織としてスタートした手前、「企画立案」機能が極端に弱いのだ。
 
 これには金融庁財務省が分離する前の大蔵省時代のトラウマがある、という指摘もある。大蔵省時代は事後チェックよりも行政指導による「事前規制」に重点が置かれていたことから、護送船団方式と呼ばれた金融の大蔵省支配が続いた。結局これが巨額の不良債権を作り、金融危機を招来した一因になったと見なされ、大蔵省批判の渦となって金融庁分離へという流れとなった。つまり、金融庁には事前規制につながるような企画立案を嫌う遺伝子があるというのだ。
 
 組織的には、企画立案を担当するいわゆる「官房機能」が弱い。総務課長と政策課長というポストはあるが、日本の金融資本市場全体を考えるには非力でスタッフも足りないという。また、監督局、検査局と並んで総務企画局があるが、名前に反して直接市場を統括する局になっており、銀行・ノンバンクなど間接金融を含めた金融全体の枠組みを企画立案する局になっていない。

金融機関と資本市場の育成・整備のビジョンを
金融庁がまともにできないのなら、金融の企画立案機能を財務省に置くべきだ」
 財務省の中堅幹部は、金融庁の“無策”に苛立つ。国家財政が逼迫する中で、高齢化などで国民金融資産が本格的に減り始めれば、世界から資金を集めなければ国債の消化ができなくなる可能性は否定できない。そのためには、世界から資金を集められる資本市場の育成・整備が必要なのだが、金融庁は日本の将来の金融資本市場のあり方を描くビジョンすら持ち合わせていない。それならば財務省が直接検討をせざるを得ない、というのだ。

 世界の金融規制のあり方を討議する国際組織FSB(金融安定理事会)。リーマンショック後に再編強化されて生まれた組織だが、ここで今、システム上重要な金融機関(SIFI)の選定が進んでいる。世界の金融システムに影響を与えかねない巨大金融機関を約30社指定し、世界的な統一規制をかけようというのが狙いだ。

 そのSIFIに「日本の銀行は1つも入らないのではないか」という見方が一時広がった。現実に1つも入らないとは考えにくいが、グローバル経済の中での日本の金融機関の存在感の低下を如実に示しているエピソードだ。グローバル化する経済の中で日本の金融機関や資本市場をどう位置づけ、育てていくのか。東日本大震災で被災した金融機関の救済など目先の対応ももちろん重要だが、こういう時だからこそ、10年後20年後を見据えた長期ビジョンを描く必要があるだろう。