バンクーバー五輪

真央、「すごくいい経験した」

 【バンクーバー時事】浅田真央は「鐘」に負けたくなかった。スケーターとして試され、悩み、それでも最後まで懸命に孤独な氷の上で打ち鳴らそうとした。SP2位から金妍児を逆転することはできなかったが、戦い抜いた果ての銀メダルだった。「初めての五輪はすごく悔しかったですけど、初めてのことばかりで、すごくいい経験になったと思います」。

 今季のフリーの曲を決める際、もう一つ候補があった。フランツ・リスト作曲「愛の夢」。優しい曲だった。タラソワ・コーチが昨季から温め、浅田も気に入っていた。でも何かが足りない。大きなものに挑んでいないような気がしてやめた。

 タラソワは多くの五輪金メダリストを育てた。98年長野のクーリック、02年ソルトレークシティーのヤグディン。彼らには後世まで語り継がれるようなプログラムがあり、タラソワが手掛けたものだった。浅田は「鐘」に、それを求めた。

 乗り越えなさい―。タラソワは浅田に短い一言を託した。重厚で、腹の底に響くような曲。10代前半で彗星(すいせい)のように現れ、無邪気で天真らんまんにジャンプを跳んでいた「真央ちゃん」のイメージとは懸け離れていた。真価が問われた。

 外野からの声は聞こえていただろう。曲が暗過ぎる、五輪開催地の北米では理解されない―。ある国際連盟ジャッジも危惧(きぐ)していた。不振だったフランス杯とロシア杯を終え、さすがの名コーチも揺らぎ、迷い、悩んだ。「変えようか」。

 浅田は反発した。「このままいきたい」。昨年10月末、ロシア杯で屈辱の5位に敗れた夜だった。生まれつきの負けず嫌いに、火が付いた。

 やっていることに確信が持てなくて涙を流したこともあった。一番の理解者である姉の舞は「真央は毎年、一つの物語をつくる。みんなをどきどきさせたり、大丈夫かなと思わせたり。だから最後にすごく感動するんです」と言っていた。浅田のバンクーバー物語は、完結した。


浅田真央の談話 (フリーで)3回転アクセルを2回跳べたことはすごくよかったと思うけど、それ以外は全く満足していません。初めての五輪はすごく悔しかったですけど、初めてのことばかりで、すごくいい経験になったと思います。(金妍児は)きょうの演技を見て、本当に強い人だなと思いました。(2010/02/26)

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