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 新年になって1月に1回、2月に2回、沖縄を訪問する機会を得た。昨年12月、旧自公政権が進めてきた「辺野古新基地建設」の決定の直前に、社民党の反対で与党検討委員会の場がつくられて議論が始まっていることを背景として、沖縄現地の声を出来るだけ幅広く聞くためだった。

 とくに、今回の沖縄取材・調査では大田昌秀元沖縄県知事に3回お会いすることが出来た。1回目約2時間、2回目3時間半、3回目1時間半と84歳という年齢を感じさせない情熱と正確な人名・数字をあげてたっぷりと話をしていただいた。1996年SACO合意の前後に沖縄県のトップとして見てきた「普天間基地問題」をじっくり聞くことが出来た。(その一端は、『週刊朝日』の大田昌秀元知事インタビュー記事「答えを誤ると沖縄の怒りが爆発する」にまとめた。ぜひお読みいただきたい)

 さて、「普天間基地問題」をメディアは「普天間基地移設問題」と呼んでいる。「移設」というのはひらたく言えば「引っ越し」である。「引っ越し」というのはだいたい荷物が減るというのは個人の話だとしても、今あるものを「移す」というのがせいぜいだろう。普天間基地のボリュームが大きく膨張するのであれば、「移設」と呼べない。むしろ「増設」「拡張」と言うのが正確ではないか。

 これからお伝えしようとする「普天間問題の真実」は、「基地の広さ」や「使用する航空機の数」「駐在する兵員数」などのボリュームの問題に止まらず、「質」の問題である。現在の普天間基地にない4つの要素が、辺野古新基地には存在している。

 その第1は、「新軍港」の建設が可能だということだ。一般には、普天間基地の代替地を探していたら、「辺野古」が適地として浮上した思われているが、ベトナム戦争渦中にあった1966年にアメリカ海軍は、辺野古基地の沖合いに飛行場と軍港を計画していた。珊瑚礁の遠浅の海に囲まれている沖縄で、予定地の大浦湾は水深が十分にあり、航空母艦の寄港も出来るような大基地構想だった。

 沖縄の施政権返還を前に、米軍が思うがままに基地をつくれるうちに建設しようということだったようだが、ドルの下落など十分な予算が確保出来ないという理由で見送られた。陸地にある普天間には「軍港」はつくれない。「普天間代替施設」と言いながら、44年前から米軍が望んでやまなかった基地建設が可能となる。しかも、日本の予算で、だ。

 この予算について、アメリカ会計検査院(GAO)は、1兆円という巨額の数字をはじきだしている。建設にも8~9年かかり、使用年数40年、耐用年数200年というとんでもない規模の「関西新空港」に近いイメージの基地である。当初、「撤去可能な海上ヘリ基地」と説明してきたことが嘘のような話だ。

その第2は、「弾薬庫」の新設である。普天間基地は住宅密集地ににあり、爆発の危険のある弾薬庫を持つことが出来ない。従って、ヘリコプター等に演習で弾薬を装填するにあたって、普天間から弾薬庫のある嘉手納に飛んでいる。辺野古基地にはすでに建設当時から弾薬庫があるが,日米政府が建設に合意した今度の辺野古新基地では、滑走路近くに新たに弾薬庫が出来る。新しい機能が付加するわけだ。

 その第3が、「MV22オスプレイ」の配備である。まだまだ、日本では、なじみの少ないオスプレイだが、垂直離発着機で現在の大型ヘリの約3倍の積載重量があり、スピード、後続距離ともに格段と性能を向上させている。飛行機とヘリコプターを合体したようなつくりになっている。両翼についた大きなプロペラが回って垂直に飛び立ち、上空で90度プロペラを前方に向けてプロペラ機として飛行するというものだ。

 『朝まで生TV』に元旦未明に出た私は、軍事評論家森本敏氏(防衛庁出身)の説明に我が耳を疑っていた。「皆さんは普天間基地移設というと、普天間にあるヘリが移ってくると思うのだろうが、違う。新しい基地に配備されるのは、MV22オスプレイ(スタジオで写真をかざす)だ。これは、垂直離発着機で以前は『未亡人製造機』と呼ばれるぐらいに事故が多かった」

 最近、死亡事故は起きていないが、このオスプレイを配備するには「海に面している必要がある」ということだ。「寝耳に水」とは正反対の、「どさくさ紛れの既成事実化」と言っていいと私は反論した。

→『どこどこ日記』2010年1月1日「オスプレイ配備と辺野古基地は認められない」

 なぜなら、国会論戦で過去に何度も「オスプレイ配備の米軍の予定を表に出さないでくれと秘密裏に防衛庁の責任者が頼んでいるではないか」と歴代防衛庁長官・大臣を追及してきたからだ。アメリカは「普天間撤去・辺野古移転」を打ち出した1996年から、「ここにはオスプレイを配備する」ことを日本政府に伝達している。ところが、政府・防衛庁及び省は、オスプレイに事故が多く、また大型機のために騒音問題も更に大きいという点で、「沖縄県民には刺激が多いので、出来る限り伏せてくれ」と頼み込んでいたのだ。その証拠の一端をつかんでいた私は、事実を認めよと何度も迫ったが、「知らぬ、存ぜぬ」でシラを切り通してきたのが従来までの政府見解だった。

 ところが、政権交代のどさくさ紛れに「オスプレイ」を既成事実化するかの如く森本氏が番組で切り出してきたのに、「やっぱり」という思いを隠せなかった。辺野古新基地のために防衛省が実施した環境影響評価は、普天間で運行しているヘリコプターで実施している。オスプレイが配備されるのであれば、環境影響評価もやり直しになるのは当然のこと。

 第4に、「オスプレイ対応の訓練場の新設」だ。東村高江の「ヘリパット」問題である。沖縄県名護市にある辺野古よりさらに北に車で1時間ほど走ると広大な北部訓練場が「ヤンバルの森」を占有している。ここは、ゲリラ戦対応の訓練地で、現在も夜遅くヘリを使って実戦さながらの訓練を行なっている。この北部訓練場の半分は返還されることになっているが、新たに直径45mの巨大なヘリパットを複数建設することを米軍は要求している。

 高江の人たちは、現在も静かな生活を脅かされている上に、オスプレイが離発着して実戦さながらの危険な訓練が始まることを警戒し、防衛省の進めようとしている工事を、身体を張って阻止するために座り込んでいる。旧政権時代の防衛省は、この住民や支援者たちを工事の邪魔だとして裁判に訴えた。政権交代した後の新政権も、この裁判を引き継いで住民と争う姿勢を変えていない。

 そもそも、辺野古新基地に「オスプレイ」が配備されることを前提に、この巨大ヘリパットは建設されようとしている。与党3党で「辺野古以外の代替地」をめぐる検討会が続いているが、辺野古以外の場に決まることもありえる。それでも、この巨大ヘリパットをつくるのかどうか、相互に強く関連している施設だけに強引にヘリパット建設を進めるのはおかしい。

 以上、見てきたように「辺野古新基地」は、アメリカ軍にとって「捨てがたいベストロケーション」である。しかし、問題はここで列挙した4条件のひとつさえも、政府によってこれまで公表されたこともなければ、メディアでもまともに議論されていないということである。「普天間基地移設」と引っ越しを装って、その実態は質的にも量的にも数段ハイクラスの基地を新たにつくるということを私たちは認識しなければならない。

 昨年の衆議院選挙では、沖縄県の全小選挙区で、「辺野古移設反対、県外・国外移設」を主張する野党候補が勝利した。また1月、名護市長選挙は「基地反対」を明確にした新市長が勝利した。沖縄県議会では、自民・公明も含めた全政党が賛成して「県外・国外移設」の決議を全会一致で出している。さらに、夏には参議院選挙、今年の11月には沖縄県知事選挙がある。

 そもそも「民意」と言うなら、1997年の名護市民投票で「海上ヘリ基地反対」の意思表示はされていた。今後、何度「民意」が示されても「必ずしも斟酌せず」に、「国の専権事項」として「特別措置法」などで沖縄県や名護市の発言権を奪って、はたして強行出来るだろうか。
 
 メディアは連立政権で社民党が反対しているとだけ伝えているが、沖縄県民の民意が「これ以上の基地拡大はごめんだ。許せない」と拒否しているということを読み違えてはならない。


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