役にたつものは必要で、役に立たないものは不必要!?

 昨日は、大学院合宿を終え、岡本和夫先生(数学)の最終講義に向かいました。岡本先生は、僕が所属する「大学総合教育研究センター」のセンター長です。数学者として数多くの業績を残しつつ(元・日本数学会の理事長)、東大の教育企画に長く尽力なさった方です。今年、東京大学を退職なさいます。

 岡本先生の最終講義での話は、非常に示唆に富むものでした。いつものように、最終講義でも、笑いを飛ばしておりました。
 お話の中でもっとも印象に残ったのは、「役に立つものは必要で、役に立たないものは必要ない」という価値観を子どものうちからもってしまうのは少し危険ではないか、という問題提起でした。

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 たとえば、子どもは、こう問いかけて、大人を困らせます。

「数学って、役にたつの? 役にたたないの?」

 中にはピュアな疑問もあるでしょうけれど、多くの場合、この問いの背後には、「役にたつものは必要で、役に立たないものは不必要である、あるいは、かかわる必要がない」という価値観がすけてみえます。

 岡本先生がおっしゃるのは、この「価値観の対象」が、まだ数学や学問に向けられるのならよいのですが(よくはないが・・・)、万が一、論理飛躍して、「人」に向けられるようになってしまうといったいどうなるか、ということです。

 つまり、「役に立つ人」は必要で、「役に立たない人」なんて必要がない、という風にならないのだろうか、ということでした。「役に立つ人には自分はかかわるけれど、そうでない人は、知ったことじゃない」。
 そして、そういう価値観を、万が一、子どものうちからもってしまうのだとしたら、危険なのではないか、ということでした。

 世の中には、多様な人がいます。多様な人々が、多様な生き方をしています。子どもの「人」に対するまなざしが、もし万が一、「役に立つ人か、役に立たない人か」という二律背反の価値観に支配されてしまうのだとするならば、それは少し寂しいですし、危険な気もします。

「役に立つ人か、役に立たない人か」というあなたの「人」に対するまなざしは、いつしか、あなた自身に返ってくる可能性もあります。そう、あなただって「無縁」じゃない。

 あなた自身が「役に立つ人」なのか、「役に立たない人」なのか。あなた自身が「必要な人」なのか、必要でないのかを、あなたの知らない誰かに判定されるのです。そして、後者だと判断された場合、あなたの周りから、人が消えてしまいます。

 また、「役に立たないもの」から新しいものが生まれることもあるし、社会をもみほぐすこともある。すぐに役に立たないものが、もし不必要だとするならば、僕のような文系大学人は、かなり危ない(笑)。

 というわけで、とても考えさせられる最終講義でした。

 此世をば
 どりゃ おいとまに
 せん香の
 けむりとともに
 灰左様なら

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 岡本先生、長いあいだ、本当にお世話になりました。また、お疲れ様でした。新天地でのご活躍を祈念しております。