特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

食わず嫌い

2012-02-07 09:09:44 | 孤独死 遺品整理
疑問に思う・・・
「孤独死ってよくないことだろうか・・・」と。

昨今は、「無縁社会」といった言葉が流行り、大きな社会問題として取り上げられることが多くなってきた。
そして、その延長線上には孤独死が置かれている。
無縁社会に対する問題提起は、そのまま孤独死を問題視することにつながっている。

大方の人達は、通常の孤独死を否定的に捉える。
しかし、故人の歴史や事情を知らない他人が、その死に方の是非を判断していいものかどうか、疑問を持つ。
住み慣れた自分の家で、一人で死んでいくことは、そんなに悪いことだろうか・・・
そこが病院じゃなく、看取る人がいないだけで、そんなに問題だろうか・・・
もともと、人は一人で死んでいくものじゃないのだろうか・・・
個人の問題・家族の問題を社会の問題として社会がフォローしケアするのはいいことだと思うけど、“悪”として決め付けるのはどんなものだろうか・・・
「孤独死=社会問題」「孤独死=社会悪」とするのは、あまりに浅はかではないだろうか・・・
死に様の否定は、本人の生き様まで否定することのようにも感じられて、何とも言えない違和感を覚えてしまう。

そもそも、残された人の手を煩わせない死・・・人に迷惑をかけない死なんてない。
自殺はもちろんとして、通常の死でも、少なからず誰かの手を煩わせるもの。
先人の始末は、後人の務め。
それを継承しながら、人は代々生きている。
死もまた、自然の営みのひとつ。
身体は孤独でも、死に際の精神まで孤独とは限らない。
この社会は、一人きりの死を闇雲に嫌悪するのではなく、あたたかく受け止めることをおぼえてもいいのではないかと思う。



「管理しているマンションで孤独死が発生した」
「大至急、来て欲しい!」
不動産会社の担当者からそんな電話が入った。
ただ、話をよく聞くと、その時点では警察の立入許可がおりておらず。
私は、無許可では入れないことを説明し、警察の許可が下り次第、連絡をくれるよう返答した。

再び電話が入ったのは、それから数時間後。
私が予想していたより早かった。
「今日はないだろうな」と完全に油断していた私は、慌てて身支度を整えると、気持ちだけ猛スピード、実際は安全運転で現地に向かった。

私は、はじめに不動産会社の事務所に立ち寄った。
「鍵を渡すから、先に事務所に来てほしい」との要望があったためだ。
その指示には、「現場に行きたくない」という担当者の憂いも垣間見えた。
事務所はよくあるタイプの店舗になっており、店には一般の来客もあった。
私は、我々の会話が第三者に聞かれることを避けるため「外で話しましょうか・・・」と、接客カウンターに座るお客に目をやりながら、担当者を外へ連れ出した。


この会社が管理している賃貸マンションの一室で住人が孤独死。
不審のきっかけは家賃の滞納と音信不通。
マンションの管理人が、会社の指示で故人宅の玄関を開錠。
そこで、部屋で倒れている故人を発見。
驚きと困惑の中、警察と消防に通報。
それから、一通りの騒ぎが発生したのだった。

騒々しく出入りする警察や消防に他の住人が気づかないわけはない。
とりわけ、隣室の住人は敏感に反応。
ヒドく凄惨な状況を想像している様子で、「ニオイがでる!虫がでる!早く片付けろ!」と、不動産会社に向けて怒りを爆発。
それはあまりに激しく、「一刻の猶予もゆるさない!」といった勢い。
それに対処するため、担当者は慌てて当社に連絡してきたのだった。


通常、遺体が腐乱パターンは“膨張のあと溶解”。
周囲をヒドく汚損し、凄まじい悪臭を放つ。
更に、無数のウジやハエが湧き、それが汚染を拡大させる。
部屋は、隣人が想像したであろう状況の通りに一変する。

しかし、マレにそうならないケースがある。
遺体の皮膚は乾燥して黒ずみ、肉は収縮し痩せ細る・・・
わかりやすくいうと、「フリーズドライ状態」・・・ミイラのようになるということ。
この場合、周囲への汚染は極めて少なく、異臭や害虫の発生も少ない。
場合によっては、汚染も異臭も皆無で、とても異変が起こったとは思えないような部屋もある。

まさに、本件の部屋がそれ。
季節は寒い冬。
空気は乾燥。
暖房はOFF。
故人は年配女性(多分、小柄)。
・・・腐乱溶解してなくてもうなずける条件はことごとく揃っていた。

故人の部屋は1R。
玄関ドアを開けてもハエ一匹飛んで来ず。
覚悟していた異臭もなし。
警戒レベルを下げた私は、専用マスクを首にブラ下げたまま部屋の奥へ足を踏み入れた。

限られた年金で慎ましい生活を心掛けていたのか、家財は少量。
整理整頓や清掃はキチンとやっていたとみえ、警察の捜査跡の他は整然としていた。
また、特段の汚染や異臭もなし。
聞かなければ、故人がどこに倒れていたのかもわからないくらい。
実際はベッドに横なって亡くなっていたのだが、いつもの汚腐団は影も形もなし。
そんな部屋だから、特殊清掃作業は不要。
凝った消臭消毒作業もいらず。
原状回復には時間も手間もたいしてかからないと、私は判断したのだった。

しかし、事は簡単ではなかった。
部屋の始末が終わってもなお、隣人の苦情はやまず。
「本当にきれいになったのか?」「変なニオイがする」等々・・・
挙句の果てには「通路にゴミが落ちている」「ゴキブリがでた」等と、どう考えても無関係な事柄もあった。
そんな隣人が手に負えなくなった担当者は、「部屋の状況と作業の内容を隣人に説明してほしい」と私に依頼。
そこで私は、隣人に電話をかけ、自分が素人ではないこと、故人が部屋で亡くなったことによる汚染や異臭は当初からなかったこと、行った作業の内容とそれが適切なものだったと考えていること、今は新築同然にきれいになっていることを説明。
その上で、納得できないようなら故人の部屋を直に確認してもらっても構わない旨を伝えた。

隣人の心情には、大方の察しがついた。
死体に対する嫌悪感・・・
死霊に対する恐怖感・・・
理性で説得することができない死を忌み嫌う本性・・・
そのスパイラルから逃れられない苛立ち・・・
この状態が、どうにも我慢できないのだろうと思われた。
隣人が故人の部屋を相当に嫌悪していることは明らか。
そして、そんな人が故人の部屋に入るわけはなく、結局、時間に頼り、苦情が自然にやむのを待つほかに策はなかったのだった。



私は、“死体”“死体痕”といったものを、一通り把握している。
同時に、それらに関する都市伝説にデマが多いことも知っている。
“霊”というものがどういうものか、曖昧ながら自分なりの定義を持っている。
“死”については未経験であり未知だけど、一般の人に比べるとその意識は高いと思う。
そんな自分を基準にしてはならないけど、それにしても、この社会は、死人や霊を“食わず嫌い”していると思う。
好きになる必要はないにしても、無闇に嫌う必要もないと思う。
死人だって、自分と同じ人間なのだから。
そもそも、人間は霊的な生き物なのだから。
そして、いずれ自分も死ぬのだから。

先入観で物事を判断する・・・
頭が理解できない本能が自分を動かす・・・
理性が欲望に負ける・・・
小さな刺激に感情的になる・・・
こんなことはよくある。
何となく嫌いな人・・・
何となく苦手なこと・・・
何となくつまらなく思えてしまうこと・・・
何となく躊躇ってしまうこと・・・
これもたくさんある。
自分が気づいていないだけで、“食わず嫌い”していることってたくさんあると思う。
せっかくの美味を味わうことなく逃してることってあると思う。

人生は一度きり、苦労のない人生なんてない。
後悔することも多いけど、そこに、わずかな好奇心、わずかな冒険心、わずかなチャレンジ精神、わずかな勇気を持ってみるのも面白いのではないか・・・
案外、その核心に美味いものが隠れているかもしれないのだから。




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特殊清掃プロセンター
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