北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

「さりげない見守り」という新しい社会規範

2012-03-02 23:45:45 | Weblog
 釧路市議会二月定例会での会派代表質問二日目。

 今日の質問の中で興味深かったのは、M議員から問われた地域福祉に関する問題。

 質問では、「高齢者の単身世帯や高齢者のみで構成される世帯の見守りや、当事者が拒絶することもある中での『孤独死』の予防策についてどう考えるか」というものでした。

 それに対する回答のポイントは、「予防策と言われるが、基本的には隣近所のつながり、地域の助け合いが最も大切なことだと考えております」というもの。

 もちろん、民生委員や介護に携わる事業者などとも連携・協力しながら情報を共有してできるだけの対応はするのですが、個人の意識が強い都会ではプライバシーの問題などが絡んで一筋縄では解決しない問題です。




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 興味深かったのは、昨晩、この問題の答弁調整で意見交換するなかで、「孤独死と孤立死は違うんです」という話が出たこと。


 実に微妙な定義ですが、良く聞くと、孤独死とは、「主に一人暮らしの人が誰にも看取られる事無く、当人の住居内等で生活中の突発的な疾病等によって死亡する事」で、これに対して孤立死とは、「社会的孤立のために、住居内で死後他者に気付かれず遺体がそのままとなっているような事」という違いがあるのだそう。

 孤独死には身内が身近にいることもあるし、偶然ということもあるのに対して、孤立死では周囲と隔絶しているために、亡くなるときはほぼ確実に孤独死となってしまいます。

 せめて町内会に入っていれば回覧板が滞るとか、新聞を取っていればそれが取り込まれないままになっている、など、外界との接点があればまだなんらかの徴候が見つかるものですが、全く周囲と孤立されてしまえば、そうした徴候すら見出すことは難しくなります。

 
 そこで釧路市では市民に対して、孤立死を防ぐための共助による『助け合いのネットワーク』に取り組んでいただきたいという啓発チラシを作りました。

 ここで書かれているお願い事項が、『さりげない見守り』ということです。


   【新しい社会規範にしたいものです】


『さりげない見守り』とは、ご近所に暮らしている一人暮らしの方について、新聞がたまっているとか、ごみを出していないとか、日中でも電気がついている、除雪されていない、足跡がない…などといったちょっとした「あれ?」ということに気が付くように気にしてあげてください、ということ。

「…ちょっと心配だなあ」と思うその気持ちが『さりげない見守り』ということです。

 家の周りに孤独なお年寄りが増えていれば、さりげない見守りに心がける機運がますます必要になりますね。


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 チラシにはさりげない見守りで気を付けていただきたいこと、というのも書かれています。

 それは、誰にでも人に知られたくないことがあるものなので、『見守り』のつもりが過度になって、『見張り』や『監視』、『詮索』とならないようにお願いします、ということで、このあたりの適切な距離感と程度を守るのは案外難しいかもしれません。

 しかし社会の変化に伴って、新しい行動様式や社会規範が必要になったとしたら、失敗やトラブルを恐れずに、まずは始めてみることが大切です。

 ゴミだって、かつては分別など考えられなかったのが、今では分別するのが当たり前という社会規範が出来上がっています。

 新しい社会規範としての、『さりげない見守り』の機運を盛り上げたいものですね。
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