「忘れられる権利」でインターネットはどう変わる?

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「忘れられる権利」でインターネットはどう変わる?

インターネットにおける人権問題、より複雑な時代へと突入です。

欧州委員会によって提出された法案「忘れられる権利」これによって私たちのインターネットはどのように変わって行くのでしょうか? スタンフォード法科大学院の「Stanford Law Review Online」で掲載されたジェフリー・ローゼン(Jeffrey Rosen)氏の記事が米Gizmodoで再掲載されていたので見て行きましょう。

1月の終わり、欧州委員会によって新たなプライバシー保護の法案が提出された。「忘れられる権利」である。ここ数年ヨーロッパで1番熱い討論テーマであった権利が、ついに立法機関で個人の権利として話し合われるようになったのだ。忘れられる権利がプライバシー保護の延長上にあると考える一方で、これからのインターネットの世界で、弁論の自由を奪いかねないという意見もでている。

忘れられる権利では、例えば、ユーザーがアップして後に後悔した写真があれば、FacebookやGoogleのようなサイトはその写真を消去しなければいけなくなる。それができなければ、グローバル収益の2パーセント未満で責任を追わされる可能性もでてくることになるという。例え、その写真が世界のあちこちにすでにちらばってしまっていたとしてもだ。もちろんそれは今後の話し合いで、忘れられる権利がどのように位置づけられるか次第だが...。しかしそれによって、ヨーロッパと米国(そしてアジア)での間にネット上におけるプライバシーと弁論の自由のバランスに大きな違いが生まれることになる可能性は十分にある。

理論上では、デジタル世代にとって忘れられる権利は早急に必要なものだとされる。1度インターネットに何かをアップしてしまえば、写真・ステータス・ツイート等、その全てから逃げることは実に難しい。この問題に対して、ヨーロッパとアメリカは全く異なるアプローチを始めた。

ヨーロッパでは、例えばフランスの法律の中に忘れられる権利の元になるものが見られる。「忘れさせる権利(le droit à l'oubli)」である。これは、刑期を終えた場合、その犯罪や出所について書かれた出版物に、本人が異議を申し立てられるというもの。これに対して、米国の場合は全く違う。誰かの犯罪について書かれた出版物は合衆国憲法第一条によって守られている。例えば、Wikipediaのあるページには、とある俳優を殺したことで2人のドイツ人の名前が挙げられているが、この部分の消去についてWikipediaは拒否することができる。

ヨーロッパでは、全てを記録し忘れられないものとするインターネットによって、市民が過去から逃げることが非常に困難になってきていると考えている。今年1月22日に、忘れられる権利が発表された時、特に青少年が、名誉棄損になるような後に後悔するようなものをアップしてしまうという点に、特に焦点があてられた。つまり、個人が、過去に自らアップした個人情報をこれ以上表に出していたくないと考えた時、正当な理由がない限りはシステムから排除されるべきであるというのだ。

しかし、忘れられる権利を支持することは、同時に弁論の自由という権利を軽視しているとも考えられるのではないか。委員会は、忘れられる権利を行使したとしても、全てを歴史から消し去るわけではないと言う。Atlantic.comで、ジョン・ヘンデル(John Hendel)氏が「ジャーナリストは欧州の忘れられる権利を恐れる必要はない。」と語っている。というのは、本権利の初稿では消すことができるデータの定義が、公的物やソーシャルネットワーク上にある根も葉もない悪意があると思われるもの、というあいまいなものであったのが、現在ではその定義がせばまり、本人が自らアップした個人情報、とされているからだ。つまり、制御できる情報が本人がアップしたものに限られているというのが鍵となり、ジャーナリストを脅かすもの、弁論の自由を無視するものではないと言うのである。

しかし、ヘンデル氏は、1月25日にさらに発表された規制内容までは咀嚼しきれていなかったようだ。そこには、本人がアップした情報にはとどまらないとある。個人情報、そして個人情報に関係するものであれば、本人アップか否かに関わらず消去要請ができるのである。

昨年の3月、ヨーロッパで忘れられる権利が話し合われる中、Googleの個人情報コンサルタントであるピーター・フィッシャー(Peter Fiescher)氏は、ブログ上で忘れられる権利を大きく3つのパートに分けて解説し、どのパートにおいても弁論の自由にとって大きな脅威であると語った。

フィッシャー氏の1つ目のパートは「自分が何かをネット上にアップしたのなら、それを消す権利は自分にあるのでは?」というもの。つまり、例えばFacebookに自分が自分の写真をアップする、後でよく考えてみたらやっぱり嫌なので写真を自分で消す、消すことができる。すでにFacebookではそれが可能である。(他の多くのサービスでも可能だろう。)故に、これが法の範囲で規制されても特に大きなインパクトはない。が、今回の忘れられる権利ではさらに、ユーザーが何か情報を削除した場合、Facebookもそのデータをアーカイブから削除するべきだと圧力をかけるものなのだ。

1パート目は比較的、理解がし易い。しかし、物議を醸し出すのは2パート目からである。「自分が何かをネット上にアップ。それを他の誰かが再ポスト。その再ポストされたものを消す権利も自分にあるのか?

例えば、とある未成年が自分の飲酒写真をFacebookにアップしたとしよう。後で後悔して自分のポストを消去。しかし、その時点ですでに数人の友達がその写真を再ポストしていた。友達に連絡がつかない、または写真削除の頼みを断られた。この場合、このとある未成年の申し立てにより、Facebookは再ポストした人間の承諾なしにそのポストを消すという義務を課せられるべきなのだろうか?

ヨーロッパでの忘れられる権利で言えば、大抵の場合は「YES」である。消す義務を追うべきだ、である。規定内容によると、ある個人から個人情報の消去の要求があった場合は、インターネットサービスプロバイダーは直ちに消去を実行しなければならない。ただし、その情報の存在が表現の自由において必要だとみなされる場合は例外とする。また法案の別の箇所では、ジャーナリズム・アート・文学における個人情報を用いた表現も例外とする、とある。

この定義においては、例えばFacebookでのふざけた写真やポストが、ジャーナリズムや文学表現の例外にあたると証明するのはなかなか難しそうだ。Facebookとしても、ポストされるものの中で、何がジャーナリズムやアートの表現で何が違うのかの線引きが大変になるだろう。忘れられる権利において情報の消去をおこたれば、サービス提供者、例えばFacebookは100万ユーロ(約1億円)未満、または売り上げに対する2%未満の罰金が課せられる。とんでもない額である。

忘れられる権利の影響は計り知れない。Facebookから新聞等、広い範囲でのコンテンツプロバイダーだけでなく、GoogleやYahoo等のサーチエンジンにも大きな影響を与えるだろう。

例えば、スペインのあるデータ保護会社は、彼らに関連する不名誉な記事へのリンク表示の消去を求めてGoogleを訴えている。スペインの法律において、これは認められた範囲だ。

また、アルゼンチンでも似た様な事例で、Virginia Da Cunhaケースというのがある。アイドルのダ・チュンハ(Da Cunha)さんが若い時に本人の性的な画像をアップしていた。これに対して彼女はGoogleとYahooに対して画像を取り下げるよう訴訟を起こしている。これも、アルゼンチン版の忘れられる権利を行使した例だ。これに対して、Googleは技術的な問題から世界中にある写真を消し去るのは不可能だと回答し、Yahooはダ・チュンハさんに関連するサイトを全てブロックするしかないと回答している。結果として、裁判所からGoogleとYahooに対して、彼女の名前と性的画像が一緒に乗っているサイトを除外することという命令がくだった。が、後に覆り、最終的には明らかに性的で中傷的なものを怠慢で削除しない場合は責任を追う、というところで落ち着いた。このケースは氷山のほんの一角に過ぎず、アルゼンチンでは似た様な事例(ユーザー参加型サイトにおける写真や文の削除を要求する訴訟)が少なくとも100件ほど裁判所に寄せられている。異議を申し立てる人の多くは著名人である。

フィッシャー氏の3パート目では「もし誰かが自分に関することをポストした場合、それを消す権利は自分にあるのか?」というもの。このパートで、表現の自由に対する懸念点が多く挙がってくることになる。米国では、メディアの情報を規制する州法が成立しないように、最高裁判所が各州を抑えている状態だ。例えば、レイプ被害者等、本人にとって中傷・不名誉だと思われる報道も、それが事実である限りは、情報が規制されることはない。

ヨーロッパの忘れられる権利では、他人がアップした自分の情報(嘘のない事実の情報)=パート3も、自分がアップした自分の情報=パート1も「個人に関する情報」というくくりで、同等に扱われている。この状態では、Googleはニュートラルなプラットフォームではなく、ヨーロッパ連合の規制がかかる場所となっていくだろう。Googleが規制された情報の表示を嫌がれば、例えば消去要請があった人物の名前を検索すると、何の情報もない真っ白なページが表示される未来も十分に考えられる。

ヨーロッパの忘れられる権利の定義はまだ十分ではないが、今後より細かに定義づけされていく可能性は十分に有り得る。大まかな権利を発表して、実用がうまく行かないことはヨーロッパでは昔からよくあること。それによって、細かい内容がどのように変わっていくかはわからない。が、ぼんやりと定義づけられた狙いの1つは、今後テクノロジーが発達して行く上で、30年くらいはこれで対応させていくためだという。

正式に忘れられる権利が制定されれば、法律としてヨーロッパ連合中に直ちに広まっていくだろう。そうなれば、現在のようなオープンで自由なインターネットの姿を未来に望むのは実に難しくなるのだ。

そうこ(JEFFREY ROSEN - SLR 米版