gavangavanの日記

書きたいことを書いております。

情報のミキサー

岩上安身さん(@iwakamiyasumi)のtweetsから。

一番必要としているのは、誠実な通信社だと思います。共同や時事は、ニュースの卸業者で、最終消費者である読者を見ていない。ダイレクトに、産直で、ニュースが届く仕組みが望まれます。RT @kuins @iwakamiyasumi もはや新聞なんて要らないですか?携帯で足りる

http://twitter.com/iwakamiyasumi/status/10119302659

記者クラブというカルテルがゆるみ、新規参入が認められれば、新たな資本が新しいインフラに適合的なニュースの供給源となるかもしれません。RT @kuins @iwakamiyasumi インフラが整いつつある現在消費者側からシステムを構築「してしまう」かもしれませんね

http://twitter.com/iwakamiyasumi/status/10119564843

大量のストレートニュースと、それを消費者サイドで適合配分してゆくミキサーが必要。RT @ItoShinya @iwakamiyasumi 「ニュースの産直化」は重要だと私も思います。ツイッターのようなツールの流行が「読者視点」の大切さを通信社に気づかせるきっかけになれば

http://twitter.com/iwakamiyasumi/status/10119646516

ミキサー(mixer)という言葉は今私がさがしている観念?概念?よくわからないけれども、もやっとしたアイデアに近い気がする。マスメディアによる情報の取捨選択を受け入れるだけなのはつまらない。そこでフィルタリングされてしまった情報を末端まで流すだけの安価な通信リソースはすでにあるのだから、そこにたどり着きたい人が辿りつける形のアクセスポイントを提供して欲しい。

もちろんすべての情報をどばっと流されたら普通の人の処理能力では裁ききれないわけだけれども、それをいい形でミキシングしてくれる媒介を自分で選びたい、という欲求に近い。ミキシングとフィルタリングと何が違うかといえば、フィルタリングは一部をカットするイメージだけれども、ミキシングのほうは複数の別情報を混ぜあわせることによって新しい情報価値を付け加えているというニュアンスを感じる。今の時点で私が漠然とだけどそんな機能・役割を求めている対象が、ネット上で発言している個々のジャーナリスト、その見識というかその情報選別能力と選別嗜好なんだと思う。*1

だから前のエントリでもフリージャーナリストを個人単位で購読したい、と書いた。twitterでしゃべってくれるジャーナリストならフォローもできるが、そうでない人もいるし、なによりtwitterでのフォローは直接にはそのジャーナリストの金銭的収益にならない。そのジャーナリストの活動に裏打ちされた見識とその情報選別に対価を払うしくみがなんとかできないかなあ。

それがそのうち同じジャーナリストでも扱う分野や対象によって購読単位の細分化がなされ、複数のジャーナリストのセット購読によってユーザ側がフィルタリングのパラメータチューニングを主体的にできるようになるともっとおもしろいと思っている。その上であたらしい世代のジャーナリストがtwitter他のクチコミメディアの中で評価されていってそういうフィールドに登ってくる、そんな世界を想像している。

フィールドに登ってくる、とかくとフラットな世界を指向する人には違和感があるかもしれないけれども、完全フラットというのは幻想だと思うし、なにより不安定で物騒な気がするから。ちょっとしたことで全体がざぁっと偏っていったりデマの類や空気に逆らえなくなるといった危険な性急さを含んでいると思うからだ。だから私は実績をともなった健全な保守的知識層の存在を決して否定しない。そういう人達に一定の部分判断や評価を委ねてみる*2のも悪いことではないとおもう。問題があるとすれば、そういう知識層が固定化して利権化してしまうことや、その判断に有効な意義申し立てを行う手段を持ち合わせていないことだろうと思う。それを担保するような方向にネットメディアは動いていくんじゃないかと予想している。

*1:追記:もちろんマスメディアもミキシングをしている。問題はマスメディアの数が多くないのと記者クラブ的仕組みによって内容が横並びになり、多様性が少なく選択の幅が著しく狭いということ。

*2:注釈追加:情報選別のための判断や評価、という意味。結論や責任の丸投げではない。