『最後だとわかっていたなら』 
ノーマ・コ―ネット・マレック(佐川睦訳)



あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめてキスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても
わかってくれていたかもしれないけど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

確かに いつも明日は やってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして私達は 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも
約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず

もし明日がこないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための 
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと

忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうしてしてあげられなかったのかと

だから 今日 あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから



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一緒に働いている看護師さんから教えてもらいました。
こんな詩があったんですね。

アメリカ人女性が自らのお子さんを亡くした時に
作った詩であるとのことです。子を失った母の気持ちに
なるとよりぐっと哀切に響いてくるものがあります。

2001年9月11日の同時多発テロの後、
この詩はたくさんの場所で朗読されることになりました。

崩れ落ちた世界貿易センタービルに消えていった消防士が
書き遺した歌だという伝説も生まれたそうです。

作者のノーマ氏は2004年にがんで亡くなられたそう
ですが、平和を願ってこの詩が使われていたことに大変
喜んでいたそうです。

確かに、世界の多くの人が、この詩に書いてあることを
深く深くかみしめれば、
くだらない争いなど消えてしまうことでしょう。
家庭が平和になり、社会が平和になり、世界が平和になる
ことでしょう。
最後に強い後悔を残す方たちも少なくなることでしょう。

本当に最後だと思えば、心は感謝で満たされるでしょうし、
それを誰かに伝えたくなるに違いありません。

終末期の現場にいれば、マレックさんが伝えたかったこと
は痛いほど理解できます。
今日が最後である可能性があるからこそ、人は一生懸命
生きようとすることができますし、そして誰かを一生懸命
愛そうとすることができるのだと思います。


それではまた。
失礼します。