スティーブ・ジョブズ名言集(最新版)

米Apple社の最高経営責任者(CEO)を辞任したスティーブ・ジョブズ氏は、数々の名言を残している。デザインやイノベーション、人生についてなどの発言を紹介。
スティーブ・ジョブズ名言集(最新版)

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Apple社の最高経営責任者(CEO)を辞任したスティーブ・ジョブズ氏について、世界が最も残念に思うことのひとつは、その口から出てくる言葉の数々だ。

ジョブズ氏は、誇張した描写を巧みに使い、人の気を惹く言葉を操る達人だ。ジーンズとタートルネックをまとった彼が行う気取ったパフォーマンスは、製品と同じくらい、素晴らしく楽しめるものだった。

ジョブズ氏の発言の数々を、いくつかのセクションに分けて紹介していこう。

『Android』対『iOS』

「[米Google社のモットー]「邪悪になるな」とはまったくのデタラメだ」
――2010年1月、タウンホールで行ったApple社従業員との集会で、ジョブズ氏は、Google社のスマートフォン事業への進出を激しく非難した。「われわれは検索ビジネスに参入しなかった、あちらが電話ビジネスに進出してきたのだ」、とジョブズ氏は語った。「Google社は間違いなく『iPhone』を潰したがっているが、われわれはそうはさせない」『Wired.com』2010年1月30日記事(日本語版記事

「オープンなシステムが必ずしも勝利するわけではないことは、覚えておいて損はない。オープン対クローズドという構図は煙幕にすぎない。Google社は、『Android』がオープンで『iOS』はクローズドだとするのが好きだが、これは不誠実だと思う」
――2010年10月、Google社のAndroidによる挑戦について、アナリストに対して語った発言。Apple社はこの動きを、当時Apple社の役員でもあった、Google社のエリック・シュミットCEOによる裏切りとみなしていた。(『Hark』2010年10月18日号)

iOS機器の成功について

「われわれは、最も重要なコンポーネントが、大きなディスプレーや光ピックアップ・ヘッドや無線といったものから、ソフトウェアに切り替わるだろうと、約8年前に大きな見通しを立てた。われわれはソフトウェア開発をかなり得意としており、『iPod』でそれを示した――米Palm社などソフトウェア開発を得意とする会社はほかにもあるが、スマートフォンの世界に素晴らしいソフトウェアを持ち込んだのはわれわれだった」
――2010年7月、アンテナゲート問題をテーマにして開催されたプレス・カンファレンスにて。『Endgadget』2010年7月16日記事)

「第3のカテゴリーにあたる製品を確立する挑戦はきわめて難しい。いくつかの鍵となる要素について成功しなければならないからだ。われわれはそれを可能にしたと思う。われわれの最も先進的な技術を、魔法のように革命的なデバイスという形にし、それを信じられない価格で可能にしたのだ」
――2010年1月、ジョブズ氏は『iPad』を披露した。それまでの各社のタブレットはうまいくいっておらず、世間はタブレットが成功することに懐疑的だった。(『Wired.com』2010年1月27日記事)

「2011年はどんな年になるだろうか。コピーキャット(猿まね)の年になるのだろうか」
――2011年3月、ジョブズ氏は『iPad 2』を披露して、iPad型のタブレットを開発しようとするコンピューター業界の他社に打撃を与えた。同氏はこれ以降、公の席に姿を見せていない。(『The New York Times』2011年3月2日記事)

倒産が迫る状況だった米Apple Computer社[当時]は1996年、同社を追放されていた創設者Steve Jobs氏を再び迎え入れた。写真は1997年1月7日にサンフランシスコで開催された『MacWorld』にて。当時のCEOであったGil Amelio氏とともに。Image:Associated Press/Eric Risberg。別の日本語版記事より

破産寸前だったApple社の建て直しについて

「私がApple社の経営者なら、Macをできるだけ利用する――そして次の実りある事業に取りかかる。パソコンを巡る戦争は終わった。済んでしまったことなのだ。米Microsoft社がずいぶん前に勝利を収めたのだ」
――『Fortune』誌1996年2月19日号

「デスクトップ・コンピューターの業界は死んだ。イノベーションなど存在しないも同然だ。技術革新とほぼ無縁のMicrosot社が支配している。もう終わった。Apple社は敗者だ。デスクトップ市場は暗黒時代に突入しており、あと10年はこの時代が続くだろう。少なくとも、1990年代の終わりまで続くのは確かだ」
――『Wired』誌1996年2月号

「Microsoft社がMacをコピーすることに長けていたわけではない。Macが10年もの間コピーしやすい製品だっただけだ。それはApple社の問題だ。独自性が消えていたのだ」
――オーウェン・W・リンツメイヤー著『アップル・コンフィデンシャル2.5J』(現著書の発行は2004年:邦訳はアスペクト刊)

「Apple社再建の妙薬は、費用を削減することではない。現在の苦境から抜け出す斬新な方法を編み出すことだ」
――『アップル・コンフィデンシャル2.5J』

「Apple社には、極めて大きな資産があるが、ある程度手をかけてやらなければ、会社はたぶん、たぶん――適切な言葉を探しているんだ――たぶん、死んでしまうだろう」
――暫定最高経営責任者としての復帰に関するコメント。『Time』誌1997年8月18日号

とびきりの殺し文句

「残りの人生も砂糖水を売ることに費やしたいか、それとも世界を変えるチャンスが欲しいか?」
――米ペプシコーラ社のマーケティング幹部の地位にあったジョン・スカリーをApple社のCEOに誘ったときの言葉。ジョン・スカリー、ジョン・バーン共著『スカリー―世界を動かす経営哲学』[邦訳早川書房刊]

「画面にはとても見た目のよいボタンを配した。思わずなめたくなるだろう」
――『Mac OS X』のユーザー・インターフェース『Aqua』(アクア)に関するコメント。『Fortune』誌2000年1月24日号

「音楽業界の転換点として歴史に残るだろう。これは間違いなく歴史的なものになる。大げさに言っているのではない!」
――『iTunes Music Store』に関するコメント。『Fortune』誌2003年5月12日号

「盗んだものを驚くほど効率的に配布できるシステムがある。インターネットと呼ばれているシステムだ。インターネットが閉鎖される可能性はない」
――音楽業界にiTunes Music Storeを売り込んだ際の言葉。『Rolling Stone』誌2003年12月3日号

人生で学んだこと

「誰かに腹を殴られ、息ができなくなったような気分だ。私はまだ30歳だ。もの作りを続けるチャンスが欲しい。少なくとも、頭の中にはもうひとつ、素晴らしいコンピューターの構想がある。Apple社は私にそれを作るチャンスを与えようとしない」
――『Playboy』誌1987年9月号

「1年で2億5,000万ドルも失ったのは、知っている限りでは私だけだ。人格形成に大きな影響を与える出来事だった」
――『アップル・コンフィデンシャル2.5J』

「当時は分からなかったが、Apple社に解雇されたことは、私の人生で起こった最良の出来事だったと後に分かった。成功者であることの重さが、再び創始者になることの身軽さに置き換わったのだ。何事につけても不確かさは増したが、私は解放され、人生の中で最も創造的な時期を迎えた」
――スタンフォード大学での卒業祝賀スピーチ、2005年6月12日

イノベーションとデザインについて

「だからわれわれは、初期の段階にあるものを採用するようにしている。われわれにはその歴史がある。『Mac』では5インチ型のフロッピーディスクから3.5インチ型のフロッピーディスクに移行し、オリジナルの『iMac』でフロッピーディスクのドライブなどを取り除いた際には、狂っていると言われた。しかし、将来的に乗るべき馬にみえるものを採用しなければならないことがあるのだ。『Flash』は成功した技術にみえるが衰退している。そして、『HTML5』はいま優勢な技術にみえる」
――2010年6月、ジョブズ氏は『D8』カンファレンスで、iPadとiPhoneが米Adobe社のFlashに対応しない理由を詳しく説明した。2010年6月1日のYouTube動画

「方向を間違えたり、やりすぎたりしないようにするには、まず[本当は重要ではない]1,000のことに『ノー』と言う必要がある」
――『BusinessWeek Online』2004年10月12日記事

「イノベーションは、研究開発費の額とは関係がない。Apple社がMacを開発したとき、米IBM社は少なくとも私たちの100倍の金額を研究開発に投じていた。大事なのは金ではない。抱えている人材、いかに導いていくか、どれだけ目標を理解しているかが重要だ」
――『Fortune』誌1998年11月9日号

「(独ミーレ社は)プロセスをじっくりと考えた。同社が開発した洗濯機や乾燥機のデザインは素晴らしい。これらの製品には、ここ数年どんなハイテク機器にも感じたことのない興奮を覚えた」
――『Wired』誌1996年2月号

{この記事は、2006年に掲載された記事(日本語版記事)に加筆されたものの抄訳です}

TEXT BY Owen Linzmayer and Ryan Singel
TRANSLATION BY ガリレオ

WIRED NEWS 原文(English)