葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

葬儀を通して日々思ったことや感じたことを書いてます

葬儀って故人に対して感謝する為の時間と空間かも

2011年06月03日 13時17分19秒 | 多分、愚痴w
今年に入ってから、特に感じるのが葬儀内容を知らない方がレベルアップした様に...(^_^;)

別に知らなくてもいいのかもしれませんが...

しかし、通夜のスケジュールとか葬儀のスケジュールとかを説明していくが、そもそも通夜は何の為に行うのかのソモソモ論から始めないと駄目なのかもしれない。

葬儀の段取りとかではなく、なぜ葬儀をするのか?

葬儀の効能とかも説明しないとならない様な気がする。インフォームドコンセントか~

家族が亡くなる=葬儀をするという短絡的な思考ではなくて、家族が亡くなるという人生に於ける惜別に対して○○の様な意味がある等の事前の説明と了解が必要な気がします。


今までは、何方が亡くなると葬儀屋の遺体のぶんどり合いに始まり...

祭壇を選んで、坊さんを呼んで、お返しものに料理に...

もちろん大切な事だとは思うけど、もっと根本的な事というか、故人の死の意味や人生の意味、それに自分にとっての意味や自分自身の命や生き方を考えるべき時ではないのかなと思う。

もしかしたら、葬儀というリアルの遺体の処置を終えてから深く熟慮するべきなのかもしれないが...


葬儀屋という仕事をしている私の個人的な思いはというと、葬儀は故人に対して感謝を申し上げる場だと思う。

だから、その為の時間と空間をどうするのか?を時間の許す限り考えて行動する時ではないのかな~と...

故人の体の状態の維持は葬儀屋が何とかするから...


会葬客等に対する気遣いは大事だと思うが、それらに対するかける比重がおかしくなっている様に思う。

その反動で家族葬が普及している様な気もする。
(もう故人を知らない様な方には葬儀に参加して頂かなくとも良いという)

家族葬が悪い訳ではないけど、バブル期の誰でもいらっしゃいませ状態のある意味オープンだった葬儀が駄目の元凶だったのかもしれない。

さてと、そろそろ人生設計の中に自らの死も直視してつつ考慮して且つ、大事なことは何なのかを真摯に考えて行われる葬儀の時代の到来を望みます。

何て事を言ってみる(^_^;)
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