皆さん、こんにちは。大津です。

嘘シリーズです。

今日は代替医療について僕の考えを
述べたいと思います。

実は、僕としては複雑な心境なのですが、
緩和医療医の中にも代替医療に積極的な
お医者さんが散見されます。

僕は代替医療も、そして宗教も、
(特に宗教に関しての捉え方はあくまで
日本人としての捉え方なのでしょうが)
「手段であって、目的ではない」と
思います。

『すべて、患者さんが教えてくれた』で
述べたような、かつてある女性が僕に
教えてくれたことです。
「宗教は、心の修行であるのだ」と。
それを通して、心が磨かれなくてはいけ
ないのです。宗教は手段であり、目的は
「良き人生」ということになります。

同様に、
代替医療も抗がん剤治療も、それ自体が
目的では当然ありませんよね。治らない
病気の場合は、できるだけ苦痛なく延命
されて、望むように生きることが目的な
わけです。代替医療などはその手段であ
るのです。

誰も死にたくありません。

誰も長く生きたいです。

けれども、不治の病になってしまった時に、
賢く何かを利用して延命するのは良いのですが、
「すがる」レベルになってしまうと、
残された時間にやるべきことをやるというのが
難しくなってしまうことも少なくありません。

そういう意味で、代替医療も(宗教も)
賢く付き合わなければ、良き人生に対しての
「毒」となってしまうということがあるのです。

もう治りません、と言われたときに、
「まだできることがありますよ」と代替医療の
担い手のお医者さんが代替医療を勧める。
そうすれば、「やってみようか」と思うのが
普通でしょう。

ただ実際にはそれで治るということはないわけ
ですから(少なくとも私は一度も治った例を
見ては来ませんでした)、その一方で、最期を
満足して迎えるためには何が必要かも考えなく
てはいけないと思うのです。

けれども推進している側としては、「これで
根治はしないですよ」とは言えないでしょうから
(その点では抗がん剤治療と似ている部分も
ありますね)、結局うやむやになって、
治療に拘泥して最期の時間を迎えてしまう方が
少なくありません。

それもまた人生なのかもしれませんが、
僕はそういうことを本当に「希望を与える」と
言うのか疑問に思っています。

ですから、僕は今後も代替医療を、一般的ながんを
制御する治療が難しくなってしまった患者さんに
こちらから勧めるということはしないでしょう。
もちろん本当に延命効果があると僕が確信できる
ようなものが開発されたら勧めるかもしれません。
けれども残念ながら、僕の経験ではそういうもの
はありません。ここらへんの込み入った事情は
もっと説明が必要なので、新著で述べようと思って
おります(筑摩書房から7月くらいに発売されると
思います)。何度も著書で述べていることですが、
本当にがんが治る治療ならば、必ず誰かが商品化し
あっという間に世界に広がります。世界の裏側まで
瞬時に情報が伝わる時代においては、効果が本当に
あれば速やかに、世界の標準的治療の座につくで
しょう。
そうなっていないのがおそらくその治療なのでしょ
うから、その程度の効果しかないという言い方もで
きると思います(ただ、信じることによる効果もあ
りますでしょうから、それを行いつつ根治に拘泥し
ないで前向きに生きようとする姿勢まで否定してい
るわけではありません)。

僕が医療者側に伝えたいのは、
治らない病気に対して、「まだこういう治療法が
ありますよ」「治るかも知れませんよ」と本当は
根治が望みにくい治療を勧めることが本当に
「希望を与える」ことなのでしょうか?
それを十分自問自答してもらいたいということです。

むしろ避けられないものを見つめ、そのうえで
どうしたら限られた時間が充実するかを考える
ことのほうがずっと希望につながるのではないでしょうか。

そして高い壁に挑もうとする方に、「ああすれば良いよ」
「こうすれば良いよ」と勧めるという安易な方法に
走るのではなく、「絶対に越えられるよ」と安易な慰めを
言うのでもなく、それを言えない苦しさ(真実)と向き合い、
どうやれば彼らの行く手の衝撃が軽くなるのかを考え、
伝えてゆくこと、その事のほうが医療者に求められている
真の役割なのではないでしょうか。

もっとも色々な考え方があると思いますし、
僕は代替医療を併用すること自体は反対しません。
けれども、そういう治療に言われるままに数十万円や
百何十万円とかけ(クリニックによっては普通にそれくらい
かかります)、「絶対治す!」と頑張る、あるいは周囲も
「私たちが何とかしてあげるから!」と励ます、そういう
姿を見ていると、複雑な気持ちとなるのです。
そして治療治療と言っているうちに、最期が来てしまいます。
それは本当に治療を受けている(いた)人が望んでいること
なのでしょうか。

人は誰でも最期を迎えます。
何かにすがってても、それを避けることはできません。
その事実を見つめたうえで、どう生きるのかを考えて、
見つけたものこそ、本当の希望と思えてなりません。

それではまた。
失礼します。