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藤田嗣治の油彩画購入断念(つづき)

2010年02月25日 22時58分54秒 | 新聞などのニュースから
 「藤田嗣治の絵画購入断念について」のエントリの続きです。長文です。

3.疑問の声


 2月17日の北海道新聞朝刊「こえ」欄に「藤田嗣治の絵画 購入断念に落胆」という題で札幌の70歳女性の投書が掲載されていました。
 彼女は

「美術品市場で購入の機会を一度逃したら、再び同じ作品に遭遇することはほぼ皆無と聞く」

と指摘した上で

 今回の騒動の結果、絵画購入に支出される予定だった6千万円は、知事の一言で生かされないことになってしまう。一方で、われわれは、文化的意義が大きく、道民の財産になったはずの作品を身近で鑑賞する機会を失ってしまった。

と嘆いています。

 また、先日の或るパーティーで、小説家の小檜山博さんは、ひとり500円の入場料なら1万2000人で元が取れるというのはしろうと考えだろうか-と、今回の決定を残念がっていました。

 たしかに、基金からの支出は道財政に直接の影響はないわけで、なんだか
「この節約のときに、絵の購入なんて」
という空気の犠牲になってしまった感は否めません。
 これを支出一方で考えるから後ろ向きになってしまうのであり、たとえば山梨のミレーは何億円もしたけれど、おそらくとっくに「元はとれ」ていることでしょう。

4.フジタを買う理由


 しかし、考えてみたいことがあります。

 そもそも、どうして道立近代美術館はフジタの絵を買おうという方針をたてたんでしょうか。

 それは、エコール・ド・パリ(パリ派)が同館のコレクションの柱だからです。

 サイトにも、つぎのように書かれています。

 主として明治以後の本道美術の流れから、各分野のすぐれた作品を系統的に収集・保存します。また、同時に国内外の近代以後の作品、特にガラス工芸、パスキンを中心とするエコール・ド・パリの作品なども積極的に収集し、総合的な近代美術館を目指します。


 しかし、北海道の美術はわかりますが、なぜエコール・ド・パリなのかは、サイトには説明がありません。
 吉田豪介さんの名著「北海道の美術史」などにも、理由はとくに記されていません。
 ただ、この方針に沿って、シャガールなどが収集されてきたのは確かです。

 歴史の新しい北海道の美術(と断じた時点でアイヌ文化などは視野の外に置かれてしまうのですが)が生まれた時代がちょうどエコール・ド・パリと同じころだった-という理由を耳にしたことはあります。

 また、開館当初にパスキンの作品を大量に寄贈されるという幸運に恵まれたことから、その周辺の作家ということで、エコール・ド・パリがコレクションの柱になったという説もあるそうです。本来あるべき順番とは逆という気はしますが。


5.コレクションの未来は



 コレクションは一日にしてならず、です。
 長い年月をかけて充実させていくのが美術館の本来のあり方であることは、議論の余地はありません。
 しかし、その一方で、開館当初に定まった収集方針というのは、未来永劫に変えてはいけないのか-という疑問もわいてきます。
 しかも、その方針というのが、いまひとつ理由がわからないものだけに、なおさらです。

 たとえば、江別に陶や土をテーマにした美術館がある理由は、野幌がれんがの生産地であり良質の粘土を産することから明らかですし、旭川美術館が木工品を多く収蔵するのもわかります。また、函館美術館が書をひとつのテーマとするのは、偉大な近代詩文書家である金子鷗亭おうていの出身地が近いことからです。
 そういった理由にくらべると、近代美術館のエコール・ド・パリというのは、正直なところあまり必然性が感じられないのも確かです。

 美術品の評価は一度定まると動かないというものではありません。
 30年前には高い評価を受けていたものがその後じり貧になっていくこともあれば、その逆もあります。
 これは、筆者のあくまで個人的な印象に過ぎませんが、エコール・ド・パリについて30年前と現在を比べると、評価が高まってきているとは、あまりいえないのではないでしょうか。

 かつては、美術の都といえばパリであり、「エコール・ド・パリ」といえば、日本で絵筆を執る画家たちにとってのあこがれでした。
 1950-70年代の美術雑誌をめくっていると、海外の記事はフランスの画家やパリ画壇の話題が目立ちます。
 2010年の時点から戦後の美術を振り返ると、抽象表現主義やポップアートなど、ニューヨークの動向が世界を引っ張ってきた歴史を思い浮かべます。しかし当時の日本ではかならずしもそうではなく、「美術イコールパリ」という図式が支配的だったのでしょう。

 しかし、戦後ニューヨークが擡頭たいとうするとともに、インスタレーションやビデオアートといった現代アートに脚光が集まるにつれ、旧来の絵画もパリ美術界の地位も相対的に下がってきているのは否定できません。
 その傾向は、マルチカルチュアリズム(多文化主義)の勢いが強まった1990年代以降、さらに強まっているのではないでしょうか。

 筆者が言いたいのは、道立近代美術館が1970年代当時の美術史の見方によって立つ収集方針をいつまで堅持していくのだろうか、という率直な疑問です。
 もちろん、収集方針をころころ変えることには、意味がありません。しかし、方針を一つ増やすとか、収集方針のなかでもウエイトの置き方を変えて新しい方針への力のかけ方を多くしていく-といったことは可能なのではないかとも思います。



 未来のことは誰にもわかりません。
 正直なところ筆者は、ユトリロやマリー・ローランサンなど、半世紀後には誰もおぼえていないのではないかとひそかに思っています。でも、その反対に、上海あたりのアートマーケットでものすごい高い値段で取引されていないとも限りません。
 生前の評価ということでいえば、ゴッホの絵が1枚しか売れなかったのは有名ですが、フェルメールもフリードリヒもほとんど忘却のふちに沈んでいた時代もありました。

 だから
「時代に合わないコレクションは売ってしまえ」
と軽々しくは言えないのです。といって、収集方針をいつまでも固定化して、現代の動きから目をそらしていていいのだろうか-という思いもあるのです。


(了)


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10 コメント

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Unknown (S-toshi)
2010-02-25 23:27:56
概ね、同感ですが・・・。
つまり北海道立近代美術館は「近代」美術館であって現代美術館ではないということもひとつの要因か?
函館も旭川も近代美術館ではないのです。
お久しぶりです。 (ワタナベ(大阪))
2010-02-26 17:37:04
うーん。
それはフジタ残念でした~。
片岡珠子の日本画を\20.000.000位で購入されているのを
高いような気がしてましたが~
◯\60.000.000は確かに高い!
値切れば買ってたのかな。話しが出てると言うのは購入の可能性もあったという事ですから、それだけ払うかも知れなかった訳で、このご時世それだけでも凄いなあと思ってしまうのは私だけ?まあココでの本題はそう言った事じゃー無いんでしょうけど、
知事の鶴の一声で何かヤメるなんつーのは最近の流行りでしょうか?高橋はんも橋下はんも美術には疎いと思うけどね。
◯久し振りにサイト拝見しました。
随分リニューアルして~まあまあまあまあ~目が回ります。
ココに辿り着くまでかなりの時間をようしてしまいました!
Unknown (uzura)
2010-02-27 04:23:18
梁井さんこんばんは
私は個人的にフジタが好きなので買う予定のものが知事の心情的な発言でひっくりかえったのはがっかりを通り越して怒りを感じるほどです。でもまー北海道にとってなくては困るかと言われたら一向に困らないとは思います。ただ配分された予算の中で執行をまかされている機関が購入決定したものが、特にこの分野に造詣が深いとも思われないトップの発言で取り消されるという事態に暗澹たるものを感じるのです。事業仕分けとかの科学予算に対する不見識さを思い出します。フジタの6000万円は特に高い金額とは思われません。支出しなかった6000万円はどこでどのように使われるのかに重大な関心があります。
ところでエコールドパリは既に美術史上の比較的に重要なアイテムです。50年後にもてはやされなくなっても忘れ去られることはないでしょう。ユトリロやローランサンは叙情的で甘い日本人好みの画風ですがビュッフェやカシニョ-ルとはちょっと違うかなと思うのです。いやビュッフェが駄目というわけではなく。
50年後じゃちょっと確かめられないな。
S-toshiさんこんにちは (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2010-02-27 07:12:01
 亀レスすいません。

 自分としては、あの「近代」という呼称にはなんの意味もないと思ってます。正直言って。

 だって、いまやってる展覧会は「吉村作治のエジプト」だし。
 帯広の人から大量に浮世絵を寄贈されてるし。
(帯広美術館はプリントアートを収集してるのに、どうしてキンビに?)
 日展のなんとかという陶芸家の作品もたくさんあるみたいだし。

 たぶん、旧北海道立美術館と区別するための名称にすぎないんじゃないかと思います。みもふたもない意見かもしれませんが。
ワタナベさん、おひさしぶりです (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2010-02-27 07:17:52
 いや~、ごぶさたです、お元気ですか。
 お顔は「美術の窓」とかでちょくちょく拝見してます。
 大阪はホテルを借り切ってアートフェアをやったり、水都があったり、いろいろあっていいですなあ。

 で、ワタナベさん、もしかしたら、昔の「北海道美術ネット」の表紙にブックマークしてませんでした?
 そこ、もう更新してませんから。
 ふつーにhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~artnorth
にブックマークしてください。

 フジタ、高いですかね?
 実作を見たワケじゃないんですけど、縦1.4メートル、横1.1メートルという大きさの作品はなかなかないんじゃないかと思いますが。
uzuraさん、コメントどうもです (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2010-02-27 07:24:23
 今回使われないことになった6000万円ですが、これは基金に積み立てられたお金なので、他の分野に使われることはありません。そのままです。
 都じゃなかった高橋はるみ知事は、ムダ使いだという判断をしたのじゃなくて、北海道が財政再建団体転落の瀬戸際にあるいま、いかにもタイミングが悪いと思ったのでしょう。

 ビュッフェやカシニョールは、50年までいかずとも、いまの若い人は誰も知らないと思います(苦笑)。
 むかし(といっても30年くらい前)は、パリの画家ってだけで、ハクがついてたんですよね。
Unknown (uzura)
2010-02-28 05:26:13
梁井さん今晩は いやおはようございますかな
レスありがとうございます。
そうか基金かー。じゃー安心だとかいえない不安があるのは年取ってきたからでしょうか。
いろんな目的の「余剰」基金を「埋蔵金」とか言って公約実行の財源にしようとしている某与党もあるので心配です。自民党もたいがいですが民主党も随分あれです。
タイミングというのもわからんこともない年ですが、じゃー転落の瀬戸際からいつ脱出できるんだというのが問題です。使われない基金は目的はどうあれ「埋蔵金」になってしまう国だと最近は感じているんですが素人考えでしょうか。新聞社的見解を教えていただければ幸いです。
小僧の頃に銀座の画廊でレゾネにもないちっちゃなちっちゃなフジタの油彩を見たことがあります。感動してうっかりこれいくらときいたら、主人は「おまえが聞いてどうする」という顔で1200万円と答えました。いやいやバブルなんてまだまだ先の時代です。サムホールよりは大きかったかな。6000万円は買い物だと思うなー。私は一生根にもつと思います。まぁもちろんフジタよりいい買い物は無数にあるわけで、そういうあっぱれな買い物をしてくれたら北海道文化の将来も明るいと思うのですが
そうはなかなか思えないのが寂しいのです。
埋蔵金と基金 (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2010-02-28 15:08:22
uzuraさん、どうもです。

政権交代の際に埋蔵金が話題になっていたのは、景気対策と称して何十億円も積んで外郭団体をつくったはいいけれど、低金利時代で年数千億円しか運用できず、けっきょく支出しているのはその団体の役員(省庁の天下り元役人)の報酬だけ-という実態がいくつかあったためです。

なので、道の基金についてはちょっと事情が違うと思いますよ。歳入には、一般道民の寄附も含まれていますし。

道の予算が危機的状況にあるのは、まず国からの交付金が小泉改革で減らされたのが大きな原因です。
国と地方のあり方を根本的に問い直す必要があるでしょう。
Unknown (uzura)
2010-03-01 03:46:12
なるほどー。わかりやすい解説をありがとうございます。さすが新聞記者。
いえいえ (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2010-03-01 11:56:20
かなりはしょった説明になってしまいました。

もし、今後、地方の財政の自主性が増していくことになれば、一見良いことのように思われますが、道の税収は少ないので、それはそれで大変だと思います。

UZURAさん、ありがとうございました。
またコメント寄せてくださいね。

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