玄葉光一郎
玄葉 光一郎 げんば こういちろう | |
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生年月日 | 1964年5月20日(59歳) |
出生地 | 福島県田村郡船引町(現・田村市) |
出身校 | 上智大学法学部卒業 |
前職 | 福島県議会議員 |
所属政党 | 民主党(前原グループ) |
親族 |
父方祖父:大河原正吉(元鏡石町長) 母方祖父:玄葉与光(元船引町長) 岳父:佐藤栄佐久(前福島県知事) |
公式サイト | 玄葉光一郎 オフィシャルウェブサイト |
内閣 | 菅内閣 |
在任期間 | 2010年6月8日 - |
内閣 | 菅内閣 |
在任期間 | 2010年6月8日 - |
内閣 | 菅内閣 |
在任期間 | 2010年6月8日 - |
選挙区 |
(旧・福島県第2区→) 福島県第3区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1993年7月18日 - |
Template:日本の閣僚一覧 玄葉 光一郎(げんば こういちろう、1964年5月20日 ‐ )は、日本の政治家。衆議院議員(6期)。現在、内閣府特命担当大臣(「新しい公共」、少子化対策、男女共同参画担当)、衆議院財務金融委員長、民主党政策調査会長。
概要
- 1993年第40回衆議院議員総選挙に福島2区(旧選挙区)より無所属で立候補し、当選する。同年12月、各構成メンバーの志に共鳴し、少数政党の新党さきがけに入党する。 議院運営委員会理事等を努める。
- 1996年9月に旧民主党結成に参画する。この年の第41回衆議院議員総選挙は民主党公認で出馬するが、小選挙区では3,700票差で敗れ、比例区で復活当選する。衆院外務委員会筆頭理事や党外務部会長などを務める。
- 2000年第42回衆議院議員総選挙では自民党公認の穂積良行に圧勝する。この直後、穂積は政界引退を表明した。「次の内閣」総務大臣に就任し、国の権限や財源を大幅に地方に移譲する党の地方分権政策を取りまとめる。
- 2003年第43回衆議院議員総選挙では、再び荒井広幸と対決し勝利。
- 2004年に発足した岡田執行部では選挙対策委員長に就任し、担当中堅議員が候補者の教育・補佐をするチューター制度などきめ細かな候補者育成制度を導入した。また、超党派でつくるマニフェスト推進議連の共同座長として(自民党座長・逢沢一郎衆議院議員)、マニフェスト選挙の導入に尽力する。
- 指揮を執った2004年7月の第20回参議院通常選挙では、民主党は自民党を1議席上回る50議席を獲得した。
- 2005年9月11日第44回衆議院議員総選挙では、自身は自民党公認の蓮実進に圧勝するが、選挙対策委員長として過去最多の289名の候補者を擁立した岡田民主党は小泉自民党に敗北を喫し、「民主党は臥薪嘗胆が必要」と語り、広報メディア戦略の重要性を総括で述べている。
- 9月17日の岡田代表の後継を選出する選挙では、松下政経塾の同期でもある前原誠司を支持し、前原執行部では幹事長代理に就任する。総選挙の反省を踏まえ、メディア戦略室の設置など党機構の改革を推進する。
- 2006年4月に発足した小沢一郎代表の執行部では再任要請をうけたが、メール問題で辞任した前原執行部を支えていた責任を感じるとし、唯一人これを固辞した。
- 2007年3月に民主党分権調査会会長に就任。約2年の党内議論を経て、国や都道府県の権限・財源を大幅な市町村(基礎自治体)に移譲することを柱とする分権改革報告書「霞が関の解体・再編と地域主権の確立」を発表した。また、2008年1月には、使途が限られる国の個別補助金を廃止し、使い道の自由な一括交付金化することを趣旨とする「ひもつき補助金廃止法案」をとりまとめた。
- 2007年9月に衆議院青少年問題に関する特別委員長に就任。インターネット上の有害情報から青少年を守るための規制法案(「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境整備法案」:未成年が使用する携帯電話やパソコンに有害サイトを閲覧できなくするフィルタリングを義務づけることを柱とした法案)を超党派の議員立法で成立させた。
- 2009年5月の小沢一郎代表の後継を選出する選挙においては、無投票による後継の選出では国民からの支持は得られないとして、岡田克也幹事長擁立の先陣を切り、選挙責任者として代表選挙を戦った。当初より党内組織力の差による劣勢が予想される中、世論を追い風に終盤巻き返しを図ったが、29票差で敗れた。
- 2009年1月、衆議院議院運営委員会の筆頭理事に就任する。
- 2009年8月31日第45回衆議院議員総選挙では、福島5区より鞍替えした吉野正芳に圧勝する(得票率は44回総選挙と同じく全国2位)。また、福島県連代表として同年2月に開催された県連定期大会において県内全選挙区で候補者が勝利しなければ責任をとると言明。県連一体となった県内新人候補者への重点的な支援体制を整え、全選挙区での勝利を得た。総選挙後の特別国会では、衆院各派協議会の座長を務め、難航した国会控室や委員長のポストなどの割り振りを取り仕切った。
- 2009年9月、政権交代に伴い衆議院財務金融委員長に就任。11月19日、同委員会における返済猶予法案の質疑で鳩山由紀夫内閣で最初の強行採決を取り仕切る。これに反発した自民党により解任決議案が提出され、公明党、日本共産党、みんなの党が同調した(民主党政権下では最初の解任決議)。同日の本会議における採決では、与党の反対多数により否決された。自身は、マスコミの取材に対し「これまで国会改革をライフワークの一つとして活動してきて、議員の中でもパイオニア的存在と自認してきただけに、ある意味、皮肉と言わざるを得ない。内心、忸怩たる思いだが、全体のスケジュールを考えると仕方なかった。」とコメントしている。
- 文藝春秋の2010年3月号において、「民主党が持続可能な政権政党になるためには、メディア等で言われている「親小沢か非小沢か」というような対立軸を超えて、小沢幹事長から学ぶべきところを学びつつ、小沢さん一人に頼らなくてもやっていける体制を作り上げなければならない。そのためにも知見を蓄積し、それを次のマニフェストに活かせるような闊達な議論が展開できる場を創設すべきである。」と述べている。
- 鳩山由紀夫代表下では「政策決定の政府への一元化」の一環として党政策調査会が廃止されたが、2010年6月に菅直人代表の元で復活し、玄葉が調査会長に就任した。
政策
人物
- 座右の銘は「不失恒心」。 尊敬する人物は石橋湛山とウィンストン・チャーチル。
- 趣味は映画鑑賞、読書、スポーツ。特に映画鑑賞は、党の役職が無役の時は頻繁に映画館に足を運んでいたという。
関連項目
脚注
外部リンク
- げんば光一郎ホームページ(公式サイト)
- 民主党福島県総支部連合会
公職 | ||
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先代 仙谷由人 |
特命担当大臣(「新しい公共」) 2010年 - |
次代 現職 |
先代 平野博文 (事務代理) |
特命担当大臣(少子化対策) 2010年 - | |
特命担当大臣(男女共同参画) 2010年 - | ||
党職 | ||
先代 直嶋正行 (2009年9月より廃止) |
民主党政策調査会長 第10代 : 2010年 - |
次代 現職 |