24日の韓国戦に先発出場した本田圭佑=西畑志朗撮影
24日、日本を下した韓国のエース朴智星に日本の記者たちが聞いていた。本田圭佑(23)は引退した中田英寿(33)と似ていないか。力強いプレースタイル。孤高のイメージ。「伸び盛り」「存在感」という共通項も加えて、重ねて見たがる人は増えている。
日本代表の岡田武史監督(53)もその1人だ。
3月、石川・星稜高サッカー部で本田を教えた河崎護監督(50)が岡田を訪ねた。2人は公認指導者資格を取った時の同期生。横浜市内で食事に誘った河崎監督は岡田監督からこんな話を聞いた。
「1998年W杯フランス大会に出た時、ヒデの成長がチーム全体のレベルを上げた。今度のW杯では、本田の成長が日本代表のレベルを上げてくれると期待している。ヒデのようになって欲しい」
本田と岡田監督の因縁は、本田が高卒後の進路を決めた2004年秋にさかのぼる。
入団した名古屋のほかに本田は河崎監督に勧められ、岡田監督が率いていた横浜マの練習にも参加した。1度目はけがで満足にプレーできず、2度目も短期間で、岡田監督は獲得のオファーをためらった。最後は本田が出た国体に岡田監督が足を運んだ。「パスをさばくタイプで怖さがない。欲しい選手とは違う」。河崎監督は本田に不採用という結果だけを伝えた。
本田が岡田監督と再会するのは初めて日本代表に選ばれた2008年6月。河崎監督が物語の続きを紡ぐ。
「初代表の時も岡田さんの評価は変わらず、本田は外された。その後、本田がオランダで点を取って注目され、日本協会のスタッフがゴールシーンをまとめたDVDを岡田さんに渡したが、途中で見るのをやめたそうだ。『強引なだけで、とても国際試合で通用するようなプレーじゃなかったから』と言っていた」
岡田監督の本田に対する慎重な目は、公平な面もあった。CSKA(チェスカ)モスクワでの変化を見逃さなかった。好機以外では簡単にプレーするようになり、メリハリのきいた突破が効果的になった。欧州CLも経験し、日本代表の浮沈をかけてみようと岡田監督が思うレベルに磨かれた。
中田との比較は本田の望むところでもある。中田についてこう言っていた。「ただの選手ではなく、社会に与えたインパクトではナンバーワン。自分も日本の社会を変えるような選手になりたい。いつかヒデさんを超えたい」
中田と岡田監督が出たフランス大会で日本は3戦全敗。中田も期待されたほどではなかった。今、日本代表は最悪の状態。完敗した韓国戦後、本田は「どうやって上向きに変えるか」と話した。それができれば「中田超え」の評価も聞こえてくるだろう。
(編集委員・忠鉢信一)
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