先日のエントリで、日本の企業は会社の「外」で学んだものを評価したがらないと書きました。大学院の修了者より、新卒で一から会社の「中」で教育を受けた人間が好まれる辺りは典型ですね。あるいは公的機関による職業訓練なども狭き門とはいえ行われているわけですが、会社の「外」で訓練を受けた人間と、会社の「中」で実務経験を積んだ人間とでは企業側の評価に天と地ほどの差があります。会社の「外」で何かを身につけるよりも、卒業したら間を置かずに会社の「中」に入ること、これが求められているわけです。
よく日本の教育にはキャリアプランが欠けているみたいな話もあります。現状では仕事に繋がるような教育がなされていない、もっと職業訓練的な、実務に近いことを教えるべきだと説く人もいるわけです。しかし、現在の日本における企業の価値観を見る限り、学校で何を教えたところで採用側がそれを評価することはなさそうに見えます。普通科ではなく、商業科なり工業科なりを出ておけば将来は安泰、みたいな状況であるなら学校レベルでの職業教育も意味を持つでしょうが、実態は何とも微妙なところです(入社後のキャリアの問題もありますし、就職率ならぬ就職内定率で見ると専修学校は大学以下だったりします)。
「学校で教わったことなんて役に立たない」、「一刻も早く学生気分から抜け出して貰わないと困る」なんてのが「社会人の常識」と化しているわけですが、こうなると早い段階から会社で育てられた人間しか評価されないことになります。だからこそ学校などで特別な職業訓練を受けていなくとも「会社で育てる」企業文化も生まれるもので、これはこれで整合性がとれていた部分もあるでしょう。しかるに、「会社で育てる」ことが放棄されるようになると、絶対に捕まえられない青い鳥を追い求める結果にしかなりません。会社の外で得たものを認めない、学校で学んだものを評価しないにもかかわらず、学生の中からスーパーマンが出てくることを期待する、馬鹿げた話です。
そもそもキャリアを決めるのが遅ければ遅いほど、その社会は成熟した柔軟な社会であると言えるはずです。人生の早い段階で、たとえば高校に進むぐらいの段階で将来の就業プランが定められ、それに沿って職業訓練を受けるような社会とはいったいどういう社会でしょう? 仮に学校における職業訓練が将来的な就職と密接に結びついているとしても、それは若者のキャリアを早期に縛り付けてしまう、階級固定的な社会と言えます。反対に可能な限り遅い段階までキャリアプランが未分化であってこそ、若者の可能性をつぶさない社会と考えられないでしょうか。
何をやりたいかなんてのは、常々移り変わってゆくものです。中学を出たくらいのガキに「将来どのような仕事に就くか」を考えさせたところで、本当に「大人」になる頃には考えが改まっているのが自然と言えます。しかし高校ぐらいから職業訓練に縛り付けてしまうと、つまりは中学を出た頃に決めたキャリアプランに載せてしまうと、その子が大人になった頃には自らの選択を悔いることも多いのではないでしょうか。載せられたレールの専門性が高ければ高いほど、受けた教育が実務に近ければ近いほど、別の道への転向は困難になるものですし。
教養、なんてものは会社から見ればゴミみたいなものです。大学で教養を身につけた、なんてのは大学で遊んでいたとの同義です。ただ大学で遊んでいたにしても、それもまた経験です。色々と手を出していく中で段々にやりたいことも定まってきて、それに関連する仕事に就いてから実務を学ぶ、それが可能性ある社会というものだと思います。早い段階でキャリアを決めて、そのレールに載せられる社会よりも、レールに乗る前の無軌道な期間が長い社会ほど、才能を発掘できる可能性に開かれた社会と言えるのではないでしょうか。
新卒若者中途採用若者は?別。新卒も育て上げないから回りに合わせない?優しい少しとろいのはいじめて辞めさす。介護労働者と靴下と女房は新しいのが良いと?介護労働者を雇う側は考えて要るようです。
施設のローカルルールに染めるために、
>大学で教養を身につけた、なんてのは大学で遊んでいたとの同義
昔バイト先の上司(高卒→大手レストランチェーンに就職、幹部候補に上り詰めた人)に言われて言葉が出なかったです。これを最初に言った人はバカなの?非大卒の妬みなの?と高等専門卒ゆとりのオツムでも突っ込みたくなります。
他の職場でも似たようなものですが、ローカルルールが幅を利かすだけに、「外」での経験が認められない傾向も強まる気がしますね。会社(組織)の価値観に忠実に育てるためには、ウブな人間の方が好ましいのでしょう。
>2823さん
高卒と大卒との不毛な対立も一向に改まる気配がないですよね。自分の歩んできた道(だけ)が正しいのだ、みたいなところもあるのでしょうか。こういう対立があると組織は上手く回らないように見えますが、でも「下」がいがみ合ってくれた方が「上」は楽ができる面もあるのかも知れませんね。
また、親の決めたキャリアプランに対し、以外とさめている子供も多いと聞きます。
かの法科大学院なども元来は、他分野の経験者を取り込む狙いがあったはずですし、そういう狙いはもっと広がるべきでしょうね。しかし、余計なことを知らない人間の方が好まれているフシすらありそうで……
その辺はドイツの欠点でもあるでしょうね(日本に比べれば雇用側との整合性はとれているのかも知れませんが)。基本的に、早い時期に将来が決定されてしまうほど未熟な階級社会と言えますから。将来を考えるのは悪いことではないでしょうけれど、子供の自己決定権を認めない割に(とりわけ性的な側面では子供の自己決定権は強く否定されがちです)、その子供に将来の運命を決める選択を迫ろうというのでは、無理難題も良いところですから。将来のことは考えるだけにして、もっと「大人」になるまで選択肢を残しておいてこそ可能性のある社会というものだと思います。