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【お知らせ】栃内忠男遺作展、5月24~29日、札幌時計台ギャラリー

2010年05月12日 00時14分20秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 「栃内忠男遺作展」の案内状をいただいた。

 栃内忠男さんは昨年9月に亡くなった、道内を代表する画家のひとりである。
 セザンヌ、ピカソに影響を受けた自由な画風で、半世紀以上にわたって絵筆を執った。

 2002年に「傘寿記念展」を開いた後、次は米寿記念展だと張り切っていたという。今回は、遺作展として会場を確保していたわけではないのだ。

 案内状に、江別在住の美術評論家である吉田豪介さんが「栃内忠男は人生の全てを絵に賭けて、逝った」と題して短文を寄せている。
 この文章は次のように締めくくられている。

 私は、栃内さんが意識して真夜中に絵を描いていたことを、絵画化という創造作業を、宇宙全体に等しい大きな道理と時間にシンクロナイズさせようとしていたのではないか、と感じたことがある。様々な表情を見せながらも、自画像の視線は遥か遠くを見つめていたし、リンゴも窓も、造型の最も深い起源を捜し求めているように見えたからである。


 筆者が、このような文章を書く吉田豪介さんに対して抱いた感情は、おそらく「嫉妬」としか表現しようのないものだと、言わざるを得ない。
 それはむろん、ネガティブな感情ではない。しかし、文章の技術という水準ではなくて、もっと精神の深いところで、自分には書けない文章だな~と、ため息が出てしまう。そして、いま道内で、これだけの美術評論を書きうる人は、断言してもよいと思うが、ほかにいない。

 造形の言語は、むろん、造形の言語でしかない。
 にもかかわらず、文学的、ロマン的な情緒から最も遠い地点で、存在論の核心に垂線をまっすぐに下ろす表現になりうるのだ。
 いいかえれば、造形を追究するという行為は、日常の生活から恐ろしく隔たっているように見えて、しかしある時とつぜんに、わたしたちの存在と現象の基底を射貫くのである。

 わたしたちは、栃内忠男展を見ることで、その奇跡に触れなくてはならない。
 -などと書くことも、あるいは、志の低さにおける「文学的」なことだろうか?


2010年5月24日(月)~29日(土)10:00~6:00
札幌時計台ギャラリー(中央区北1西2 地図A

※関連エントリ
9月12日。栃内忠男さんの通夜に行く
栃内忠男さんの訃報に思う
栃内忠男さん(画家、札幌在住)逝去



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2 コメント

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Unknown (M)
2010-05-12 22:25:32
書けますよ。きっと梁井さんにも。
え? (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2010-05-12 23:46:48
励ましはありがたいですが、Mさんってどなたなんでしょう??

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