清冽な水の湧きでる寺院の廃墟で詩集が焼かれる。

 本に火をつける、特に詩集のそれにまさる詩的かつファナティックな行為はあるまい。黒の侵略が、活字を次々と喰んでいくのを見つめること。

 秘めやかに燃える詩集、というのは格別の法悦をもたらす。ひとつの宇宙の消滅、そして、より魂に熱い不滅性のたちあらわれ。

 アンドレイ・タルコフスキーは詩をすべての芸術の上位に置いた。なかでも父親であるアルセニイの詩を。

 『Nostalghia(ノスタルジア)』で誦まれ、焼かれるのはこの父親の詩集である。

 タルコフスキーの分身(ダブル)に他ならない主人公アレクセイの、蝋燭蝋燭による火の儀式、これまたアレクセイの分身(ダブル)、ドメニコのガソリンを浴びての焼身自殺という火の儀式に先立ってのこの火の儀式──。

 幼少の頃に、棄てられ、後に残された夥しい書物に「父親」を探し求めてきたタルコフスキーの、父親への激しい愛と“別れの詩(うた)”にこれは思える。またアレクセイがもらす「父さんに会わなくては」の唐突な台詞がこのシークエンスに置かれるのである。『Solaris(惑星ソラリス)』のラストでも、ソラリスの海がクリスの無意識から最終的に汲みあげたのは、故郷の家、それに父親との再会の願望であった。

 『Nostalghia』で父に向けられた、この悲痛なシグナルは『Offret/Sacrificatio(サクリファイス)』のラストでは、会うこともかなわなくなった息子へ発信されている。枯木に少年が運び続ける水の儀式として。枯木は(死を自覚していた)タルコフスキー自身であろうか。★1

 『Nostalghia』のあと、1983年10月タルコフスキーは、ロンドンのロイヤル・オペラ(コヴェント・ガーデン歌劇場)でムソルグスキー「ボリス・ゴドノフ」を★2演出する。

 『Andrei Rublyov(アンドレイ・ルブリョフ)』のそれを思い起こさせる巨大な鐘が舞台上方に吊り下げられた舞台写真しか見ていないので、果してどのような演出だったかを語ることはできない(指揮はクラウディオ・アッバード)。舞台美術は『Zerkalo (鏡)』を担当していたニコライ・ドヴィグーブスキーだが、彼が描いたポスターの絵柄が火が消えたばかりの二本の蝋燭なのである。ここでも『Nostalghia』で誦まれた父親の詩の次の一節が反響している。

 我は燃えつきた蝋燭──

 意識のまどろみと目覚め、その薄明状態に観客の意識を一瞬のうちにとらえるのが、タイトル・シークエンスのセピア世界だ。朝まだき、みずうみを見おろす霧の丘にたたずみ、ゆっくり歩む三人の女、そして幼い少年──。

 映画半ばで反復される、感情が圧縮され、かつ彼岸的なこのショットの感応力だけでタルコフスキーは、ノスタルジアが含みもつ過半の内容を告げ知らせる。ロシアの古謡が低く流れ、幽暗とも呼ぶべきヴェルディ「レクイエム」★3序曲が、たゆたってくる。

 この人物群は故郷で主人公(タルコフスキー)を待つ母──妻──娘──息子の家族像、だがしかし、この幼な子は老婦人──中年女性──少女という女の生の流れに委ねられ暖められた幼年期の主人公(タルコフスキー)ともとっていい。

 亡命状態のタルコフスキーによって、夢見られた空間のノスタルジアと時のノスタルジア、静謐と女性的湿潤

 いずれにせよ、本人、あるいは父親はこの絶対の光景(ユートピア)には不在である.

 タルコフスキーは1984年7月10日、イタリアのミラノで西側への亡命を発表した。友人のチェリスト、ロストロボーヴィチが同席(ロストロボーヴィチは2年後の葬儀のときもバッハの無伴奏チェロ・ソナタを弾いてタルコフスキーを葬送した)。

 正式な会見はこれが初めてとはいえ、82年以降、『Nostalghia』撮影中から亡命は既成事実だった。

 ソ連での最後の作品となった79年の『Stalker(ストーカー)』には、台詞の複雑なメタファーにまぎらせて体制への最後通牒を匂わせる苦い絶望が表明されていたから亡命が予想できなくもなかったとはいえ、ロシアの地を離れることは決してタルコフスキーの本意であるはずはない。

 タルコフスキーが亡命へと追いこまれていったのは、唯物史観の体制のもとで、信仰の問題を問うこと自体の危険性からきている。たとえばロシア正教会の暗黙の存続はヒトラー侵略時の妥協の産物であるが、組織としての宗教すらつねに微妙な均衡の上に成立してきたのだ。15世紀のロシアのイコン画家を描いた若きタルコフスキーの『Andrei Rublyov』が受けた受難──上映禁止はその歴史解釈云々以上にこの作品が信仰の問題をきわめて私的なヴィジョンで扱おうとしたからである。単純な宗教讃歌ならそのプロパガンダの類似から苦もなくとりこむ体制がこのとき苛立ったのは、共産革命以来、封じ込め敵視してきた旧ロシアのドストエフスキー的な巨怪なスピリッチュアリティの再生の萌芽をタルコフスキーに認めたからと推測しうる。(1989年、ローマ法王と歴史的な会見を行ったゴルバチョフはまだ登場していない。とはいえ、彼も所詮政治権力だ。)

 『Andrei Rublyov』の教訓から、タルコフスキーはしたたかで強靱な戦略を要求され、その苦渋を映画は色濃くにじませはじめる。皮肉にもこの抑圧が、その後のタルコフスキー作品の映像と台詞に、禁欲と多義的な魅惑を与えた、といえなくもない。

 『Nostalghia』の全ショットをあえがせ、映画を寂滅へと導いていくのは離郷の胸を灼く痛恨の思いだ。主人公の詩人ゴルチャコフは、18世紀ロシアの音楽家サスノフスキーのイタリアでの足跡を追っている。このサスノフスキーは逮捕覚悟で帰国した人物である。撮影中、タルコフスキーもまたこの心情に幾度も駆りたてられたにちがいない。

 タルコフスキーが1984年に亡命した体制は、ジョージ・オーウェルがスターリニズムヘの嫌悪と悪意から「一九八四年」で“2+2=5”の思想強制国としてあげつらった当の国家である。ただ、亡命先の西側世界もこの数式と無縁ではない。そして、西側でより強制力をもつのは“1+1=2”の、テクノロジー至上の物質主義の数式なのだ。ここでもタルコフスキーは安息よりもより絶望をふかめる他ない。

 タルコフスキーはドメニコの廃屋の壁に、“1+1=1”と記すが、この秘教的な数式を受け入れる魂の楽園こそが、映画『Nostalghia』のもうひとつの、空間と時のそれよりもより核心的なノスタルジアである。

 “1+1=1”はまた、分身関係、ゴルチャコフとドメニコの聖なる合一を暗示する数式でもあるが、その聖化された死にむけて、タルコフスキーはこれも“1+1=1”に他ならない水宇宙でフィルムを浄めていくのである。

 タルコフスキーが愛読していたロシア・ロマン派の詩人チュッチェフの詩「世界の終末の大異変(カタクリズム★4)」は、フィルムをひたす招霊としての水の儀式性、災厄性を明かすものだ。

  自然の最後の時は告げられる、
  その時、土なる部分はすべて崩れ去り、
  可視の世界すべては、ふたたび水で覆われ、
  かくて神の面(おもて)が水の面(みのも)に描き出されよう。

 テルライド映画祭に招かれ渡米した折、『HEAVY METAL』誌★5のインタビューに応じてタルコフスキーは、いつの日かすべてが水の中で起こる映画を撮りたい、ともらしている。それは大洪水(カタストロフィー)に関する作品だ、と。これはチュッチェフの詩そのものの映画化ではないか?

 チュッチェフの別の詩作品が朗読されたのは『Stalker』のラスト、足なえという聖徴(スティグマ)をもって生まれた少女がみせる念力移動(テレキパス)シークエンスである。

 〈少女〉はタルコフスキーにとって救済を託したソフィアといっていいが、ロシアの幻視家に多発するソフィア幻視の変形は『Nostalghia』でもみられる。先述の詩集を燃やした湧水のある廃墟に登場する少女アンジェラ(天使)だ。アンジェラを包む、水面からの聖なる破光が美しい。

 聖堂の廃墟への惑溺──

 『Ivanovo Detstvo(僕の村は戦場だった)』、『Andrei Rublyov』から『Nostalghia』へ至るタルコフスキーのこの嗜好は、19世紀ドイツ・ロマン派画家カスパ−・ダヴィッド・フリードリヒときわめて似ている。

 現世的な神の仮構(システム)が弊(つい)えて、彼岸の霊性のみが息づく聖堂/教会の廃墟にフリードリヒは新しい宗教意識の発生を求めている。

 フリードリヒの絵は内的風景と外的風景が相互浸透した絶対の風景画★6だ。行(ぎょう)としての風景画。

 『Stalker』以降、聖人譚再話として映画を構築しはじめたタルコフスキーだが、行(ぎょう)の映画として『Nostalghia』は深くこのコード〈フリードリヒの廃墟〉に貫入する。

 映画のラスト・シークエンスが酷似するのは「ユルデナの廃墟」である。あるいは聖堂の内陣のなかに忽然とあらわれた故郷の家を主人公アンドレイの棺ととれば「フッテンの墓」との類似を見なくてはならない。

 理想とする自死に向けて、旅に病んだタルコフスキーは〈フリードリヒの廃墟〉を幻視したといえるのだ。また故郷/家(ホーム)はタルコフスキー宇宙の根幹といっていいが、この宇宙的郷愁としての故郷/家(ホーム)といった考えもドイツ・ロマン派に特有のものである。

 ノヴァーリス『青い花』の失意の主人公が導かれるのも、フリードリヒ的廃墟のなかの家(ホーム)であった★7

 『Nostalghia』は現代のイタリアで撮られた19世紀ドイツ・ロマン派のロシア・ヴァージョン──この物言いが、映画の構造にもっとも近い。

 フリード・リヒの風景画の理解に欠かせないのが、同時代のドイツ語圏の作家E・T・A・ホフマン「G町のジェズイット教会★8」である。

 この短篇で、ベルトルトが自分の画学生時代に受けた謎めいた老人の忠告を回想する。

 そのエッセンスは次のようなものである。

自然界そのものの中にある精神に入りこみ、より高度な王国に至らねばならん。

 これはフリードリヒの言葉のようではないか? 教会離れした宗教衝動をも満たすものとして19世紀に登場したのが、ロマン派の風景画だが、哲学者G・H・シューベルトは1814年刊の名著「夢の象徴学★9」で当時の精神風景を見事に解きあかしてくれる。

 

──原初の圏界からすっかり逸脱してしまった人間たちに自然は、多様な方法で、人間本来の根源的宿命を想起させてくれるのである。高く淋しい山並みの眺め、夕映えに吹きぬける風のそよぎ、こうした眺めがしばしば、われわれの内部に微睡(まどろ)む一段と高次の霊的な観念の圏界を喚び醒まし、現在の存在にむかって充分に充足させたいと願う欲求を、いまはまだ叶わぬものではあるが、ともかくも喚び起してくれるのである。

 これは当時の精神風景にとどまるものではない。一字一句、われわれの時代のものだ。フリードリヒが復権を遂げてからたかだか20数年しか経っていない。

 危機を自覚した時代がフリードリヒを呼び戻した、といえるかもしれない。

 フリードリヒが転生したかのごときタルコフスキーの軌跡とフリードリヒの復権がぴたりと重なるのである。世俗と超越をテーマとして。

 ちなみに、「G町のジェズイット教会」のベルトルトが、霊感を受けるのが聖カテリーナである。(しかし、現実に聖カテリーナ・イメージの生き写しとして存在した女性は、彼の画業の追求の障害として存在しはじめる。ちょうど、『Nostalghia』の通訳エウジェニアが、アンドレイにとってしりぞけるべき肉の誘惑としてしか存在しないように。★10)

 ドメニコは託宣として、14世紀イタリアの聖カテリーナの世界終末の言葉を聞く。これを信じ家族とともに家に閉じこもる奇行によって彼は人々から狂人扱いされる。この聖カテリーナの教説に次のようなものがある。

 修道院内にあっても、世間にいても「自己を知る」という小さい部屋に住まなければなりません。その部屋こそ、この世を通って永遠へと旅する者が、再び生まれなければならない「うまや★11」なのです。

 この言葉は、『Stalker』のゾーンの「部屋」のこれ以上はない解説とも解することができるが、『Nostalghia』のゴルチャコフ=タルコフスキーにとってこの“小さい部屋”とは文字通り室内化されたロシアの原風景、幼年期の故郷の家だ。ゴルチャコフはドメニコの廃屋の中の土くれに箱庭としてこのロシアの故郷の光景を見るのである。

 そして、ドメニコとの合一(死)が成って“この世を通って永遠へ旅”だつゴルチャコフは、大聖堂の廃墟の内堂にたちあらわれたこの箱庭的な風景のなかに帰還を遂げる。このラストショットは、二つのノスタルジア、故郷へのそれと、“1+1=1”ヘの宗教的なそれが一体化した奇蹟の“うまや”なのだ。

 フリードリヒはよく、なぜ絵のモチーフに死や過去や墓をとりあげるのか、と人に問われた。フリードリヒの次の答えは、死をはれやかな解放ととらえたタルコフスキーのそれと見まがうばかりである。★12

 ゆくすえ永遠に生きるために、ひとはしばしば死に身をゆだねなけれならない。★13

滝本誠「映画の乳首 絵画の腓」1990、ダゲレオ出版刊より


★1 1986年12月28日、パリで客死後、タルコフスキーヘのレクイエムとしてイタリアの作曲家ルイジ・ノーノ「進むべき道はない だが進まねばならない……アンドレイ・タルコフスキー」、武満徹「ノスタルジア」、アルヴォ・ペルト「アルボス<樹>」が書かかれている。こうした映画監督はば初めてではないか。

★2 友人の佐藤友紀が確認したところでは、舞台はまったくフィルムには記録されていないそうだ。筆者の知る限り見ているのは映画評論家の河原畑寧氏のみである。
 くやしい!


★3 サントリーホールでこの曲を聴いたとき(ジョゼッペ・シノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団)、もっとも聴きたかったこの冒頭の弱奏(ピアニッシモ)部分が隣の男の鼻息で邪魔され集中できなかった。

 コンサートにしろ、オベラにしろ、鼻息の大きい奴が側に座ればすべては台無しと思え。まったく殺したくなる。

★4 川端香男里訳、オプション<103>講談社版世界文学全集、第103巻「世界詩集」所収。

 ウラジーミル・ソロヴィヨーフ「チュッチェフの詩」がこの詩人について書かれ邦訳された唯一の批評か。これは1895年に、書かれたもので「世界批評大系2/詩の原理」(筑摩書房刊)に川端香男里氏が訳出。

 また、アルセニイ・タルコフスキーの訳詩は季刊「ソヴェート文学」(群像社刊)100号に「手」他数篇が載っている。

★5 1984年4月号参照。

★6 「Romanticism and Realism」(Viking Press刊)中、フリードリヒ論の冒頭でチャールズ・ローゼンは初期ロマンティスムのもっともラディカルな点は風景画が歴史画にとって替わろうとしたことだと述べている。

★7 ノヴァーリスの断片に次のようなのがある。

「水は流れ焔である」(!)

★8 池内紀編訳「ホフマン短篇集」(岩波文庫刊)所収。

★9 深田甫訳、青銅社刊。

★10 タルコフスキーは「聖アントニウスの誘惑」の映画化計画を持っていた。エウジェニアは、シバの女王といっていいかもしれない。このエウジェニアを退けて──

「これ肉に従わず、霊に従いて歩む我らのうちに律法の義の完(まと)うせられん為なり」──ロア書

★11 池田敏雄著「シエナの聖女カタリナ」(中央出版社刊)より。

★12 森、水、霧、風、雪といった自然の生の気配に超感覚的なものを見いだすタルコフスキーの汎神論的な自然観は、フリードリヒはもちろん、19世紀アメりカの超絶主義者とも通じるもので、事実、ソローの「ウォールデン──森の生活」は、彼の最愛の書である。彼はこの書から多くのなぐさめと力づけを得てきたと思われるが、次の言葉などはソローからタルコフスキーヘの1世紀以上をへだてた同志愛に似た言葉と受けとれないだろうか。

 もし君が空中の楼閣を築いたとしても、君 の仕事は失敗するとはかぎらない。楼閣は そこのあるべきものなのだ。(神吉三郎  訳、岩波文庫刊。下線筆者)

★13 H・デーミッシュ「現代芸術の原像」(佃堅輔訳、法政大学出版局刊)より。この書はフリードリヒ邦訳文献としては割と早い方であるが、手持ち資料でもっとも古いのはフェン・デュルクハイム/山田智三郎共編の「独逸精神の造形的表現」だ。これは昭和17年、アトリエ社刊。


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