「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるが、今回の小沢をめぐる東京地検特捜部の行動はまったく正反対である。
「人を憎んで罪を憎まず」である。
罪は何でもいい。
犯人を決めてから犯罪を探している。
およそ犯罪捜査というものには、事件の重大性と捜査規模とのバランスというものがあろう。
今回の特捜部の捜査は明らかにそのバランスが異常である。
現在のところは、政治資金規正法の虚偽記載という容疑である。
それに対して、繰り返される大規模な家宅捜査。
だれも、これまでに何カ所・何回行われたか正確な数を言える人はいなかろう。
参考人聴取は人数・回数ともにその総数は不明だが大変な数に上るものと思われる。
そして国会議員一名を含む小沢周辺の三名の逮捕。
正体不明の告発者による告発を利用した、政権与党幹事長の被告発人(被疑者)としての聴取。
この事件の小ささと捜査態勢・捜査規模の大きさとの不均衡を補うものが、「世論」なのであろう。
「世論作り」が地検特捜部の最大の捜査活動になっている。
「世論」を分ける分水嶺は二本ある。
そしてその二本の分水嶺はほぼ重なっている。
一本は、「検察の正義」を信用するか。
もう一本は、「マスコミの報道」を信用するか。
この分水嶺は国民世論の中央を通っているわけではなく、大分一方に偏っている。
向こう側の広い方にいるのは、官僚・マスコミ・亀井言うところの「冷静な判断の出来ない相当数の国民」である。
勿論自公連立政権の敗残兵もいる。
どういうわけか、検察もマスコミも信用していないくせにそちらに紛れ込んでいる民主党の議員も少なくない。
他に共産党の議員、みんなの党の議員は党を挙げて参加している。。
彼等の主張は、
小沢は説明しろ。
幹事長を辞任しろ。
議員を辞任しろ。
特に扱いにくいのは、「小沢は説明責任を果たしていない」と無邪気な正義感から叫んでいる連中である。
彼等は自分が分水嶺の向こう側にいることを自覚していない。
分水嶺の存在自体も理解していない。
”確信犯”と”彼等に流される大衆”の二種類の層が向こう側に住んでいる。
分水嶺の反対側に住んでいる人たちは数からいえば、圧倒的に少数派である。
しかし、検察批判、メディア批判はかつてないほど高まっている。
メディア各社への直接抗議も数が増えているらしい。
こちら側もわずかずつではあるが、確実に領域を広げつつある。
最近ではこの一連の騒動を「陸山会事件」と呼ぶ報道が増えている。
どうやら「陸山会事件」という名称が定着しつつあるようだ。
事件の名称は、その付け方に何か基準があるのかどうかは分からない。
しかし、名称というものは事件の本質を簡潔にしかも正確に表すほうがいい。
事件の本質は何か?
特捜部による”小沢潰し”である。
さらに言えば、旧体制維持の為の”小沢潰し”である。
しかもその手法も規模も常軌を逸している。
そこでわたしはこの事件を「東京地検特捜部暴走事件」と呼ぶことにする。
ほかにいくつか候補もあるのだが。
「東京地検特捜部・集団発狂事件」
「東京地検特捜部・政権転覆共謀事件」
「東京地検特捜部・人権侵害事件」
「東京地検特捜部・犯罪捏造事件」
実態がなく、情報リークだけで事件を作り上げようとしている点から
「東京地検特捜部・組織的公務員守秘義務違反事件」
他に
「東京地検特捜部・職権濫用事件」
「東京地検特捜部・誘拐・監禁・脅迫事件」
「東京地検特捜部・違法捜査事件」
なんかいくらでもできそうだ。
民主主義の確立のために!

ご面倒でもクリックを↑
古書 那珂書房

特に歴史書が充実しています
「人を憎んで罪を憎まず」である。
罪は何でもいい。
犯人を決めてから犯罪を探している。
およそ犯罪捜査というものには、事件の重大性と捜査規模とのバランスというものがあろう。
今回の特捜部の捜査は明らかにそのバランスが異常である。
現在のところは、政治資金規正法の虚偽記載という容疑である。
それに対して、繰り返される大規模な家宅捜査。
だれも、これまでに何カ所・何回行われたか正確な数を言える人はいなかろう。
参考人聴取は人数・回数ともにその総数は不明だが大変な数に上るものと思われる。
そして国会議員一名を含む小沢周辺の三名の逮捕。
正体不明の告発者による告発を利用した、政権与党幹事長の被告発人(被疑者)としての聴取。
この事件の小ささと捜査態勢・捜査規模の大きさとの不均衡を補うものが、「世論」なのであろう。
「世論作り」が地検特捜部の最大の捜査活動になっている。
「世論」を分ける分水嶺は二本ある。
そしてその二本の分水嶺はほぼ重なっている。
一本は、「検察の正義」を信用するか。
もう一本は、「マスコミの報道」を信用するか。
この分水嶺は国民世論の中央を通っているわけではなく、大分一方に偏っている。
向こう側の広い方にいるのは、官僚・マスコミ・亀井言うところの「冷静な判断の出来ない相当数の国民」である。
勿論自公連立政権の敗残兵もいる。
どういうわけか、検察もマスコミも信用していないくせにそちらに紛れ込んでいる民主党の議員も少なくない。
他に共産党の議員、みんなの党の議員は党を挙げて参加している。。
彼等の主張は、
小沢は説明しろ。
幹事長を辞任しろ。
議員を辞任しろ。
特に扱いにくいのは、「小沢は説明責任を果たしていない」と無邪気な正義感から叫んでいる連中である。
彼等は自分が分水嶺の向こう側にいることを自覚していない。
分水嶺の存在自体も理解していない。
”確信犯”と”彼等に流される大衆”の二種類の層が向こう側に住んでいる。
分水嶺の反対側に住んでいる人たちは数からいえば、圧倒的に少数派である。
しかし、検察批判、メディア批判はかつてないほど高まっている。
メディア各社への直接抗議も数が増えているらしい。
こちら側もわずかずつではあるが、確実に領域を広げつつある。
最近ではこの一連の騒動を「陸山会事件」と呼ぶ報道が増えている。
どうやら「陸山会事件」という名称が定着しつつあるようだ。
事件の名称は、その付け方に何か基準があるのかどうかは分からない。
しかし、名称というものは事件の本質を簡潔にしかも正確に表すほうがいい。
事件の本質は何か?
特捜部による”小沢潰し”である。
さらに言えば、旧体制維持の為の”小沢潰し”である。
しかもその手法も規模も常軌を逸している。
そこでわたしはこの事件を「東京地検特捜部暴走事件」と呼ぶことにする。
ほかにいくつか候補もあるのだが。
「東京地検特捜部・集団発狂事件」
「東京地検特捜部・政権転覆共謀事件」
「東京地検特捜部・人権侵害事件」
「東京地検特捜部・犯罪捏造事件」
実態がなく、情報リークだけで事件を作り上げようとしている点から
「東京地検特捜部・組織的公務員守秘義務違反事件」
他に
「東京地検特捜部・職権濫用事件」
「東京地検特捜部・誘拐・監禁・脅迫事件」
「東京地検特捜部・違法捜査事件」
なんかいくらでもできそうだ。
民主主義の確立のために!

ご面倒でもクリックを↑
古書 那珂書房

特に歴史書が充実しています
ことなく進退について質問し、辞職するという言質をとったら、それを大々的に報じています。自民党の国会質疑も、予算審議そっちのけで、ほとんどこの問題で、こんな不当な検察の捜査に一言も文句をつけさせないことに専念しているようで、あたかも自民党が検察を動かしているようにすら思えます。
自身が政権にあった時、どれほど政治資金の問題をスルーしてきたかを無視して、異常な執念を燃やしてこの取るに足らない話を追及しているのは、一重になんともしても今国会で衆議院解散にもっていかねばならない自身の事情があるからでしょうが、政治資金の規制強化法を作るという話になると、とたんに話をそらす様を見ていると、その本性がすっかり読めてしまいます。
また、マスコミ自体の自浄作用はどうなっているのだろうか。
小沢氏自身は田中角栄、金丸信らをみつめて自身の自浄作用を働かせた結果、検察が徹底的に捜査しても取るに足らない微罪しか見つけることが出来ないことが明らかになったのだと思う。
小沢をダーティに印象付けようと必死におなっている自民党、共産党、公明党の自浄作用はどうなっているのだろうか。
また民主党の防衛族らのじじょうさようは大丈夫だろうか。
これらのほうが問われるのではないだろうか。
特に、検察組織自体の自浄作用が強くもとめられている。期限は2月4日。
見てる人はしっかりと見ている。
確かに利害は共通しています。
しかし、自民党に動かされるほどヤワな検察でもなさそうです。
検察に逆らわなければ勝手に利益をむさぼるのも許してやろう、という程度でしょう。
ときどきお灸をすえることもあるが……。
マスコミも同じですね。
まったくその通りなのですが、これは要求する方が無理というものでしょう。
自浄作用とは、要求するものであって、一般人が自分らにそれを要求するのは思い上がりも甚だしい、と考えているのが検察です。
赤旗の売り上げが伸びると考えたら、そうかもしれないな、と思うだけです。
どうも検察のでっち上げ事件が次々と浮かび上がってきそうですね。
検察に対する逆風はこれからますます強まるでしょう。
いい機会だから徹底的にやってもらいたいものです。
簡単に許すわけにはいきません。